『LIFE IS』の発売が発表されてから、ずっとそのことばかりを考えていた気がするけど、もちろんそんなことはない。
TLを遡ったらわりとすぐに
あーーーーーマズい、また惚れる、底がない、あーーーーーー…
と通常営業に戻っている。軽い。
翌日には関ジャニ∞のニューシングル『Re:LIVE』発売にあわせた販促キャンペーンがまさかのお寿司壁紙だったことによる熱狂の渦がまきおこり、わたしもそのなかに嬉々としてとびこんでいる。
寿司ネタにしたりされたり、関ジャニ∞さんの情報過多におどり狂いながら、それでも心のどこかに写真集の安田くんの姿が映っていて、そんなときは時間軸が平行移動するみたいだった。
真夏の今と写真集の真冬が交差して、寒暖差が激しかった。あやうく風邪をひきそうだった。
そうこうしているうちにRe:LIVEフラゲ日がやってきて、尋常じゃないボリュームの特典の恩恵を浴び、泣いたり笑ったりほっこりしたり沁みわたったり、情緒は多忙を極めた。
お子らの夏休みも終盤をむかえて日々せわしなく、夏は永遠に終わらないんだと思いながら過ごしていたら、ネット書店での『LIFE IS』の予約受付はいったん終了します、というツイートをタイムライン上にみかけるようになった。
在庫がなくなって、再入荷が決定し次第また受け付けるというお知らせだった。
カレンダーを一枚めくるととつぜん秋がきて、9月2日には写真集の発売前重版決定のニュースが流れた。
でもまだ現実感はなかった。
9月16日は概念上の記念日で、そこは到達しないファンタージェンだと思った。
思ったけど、その日はちゃんと来た。
そのまえに。9月16日が来る前に、わたしができなかったことがある。
安田くんは発売日までのあいだ、たびたび自身のブログである「ボク。」*1で写真集への思いを綴っていた。
そのなかで彼が一貫して伝えてきたのは、より多くの、ふだんはジャニーズアイドルに触れることのない層の人たちにも写真集をみてほしい、手にとってほしい、ということだった。
そのためにeighter*2あるいはヤスダー*3に、写真集の発売を自分のできる方法でまわりにも伝えてくれるとうれしいと繰りかえしていた。
#安田章大LIFEIS というハッシュタグも用意してくれた。
でもそれができなかった。
まだ見ていない作品について書くことが躊躇われたし、なにより自分自身が写真集を受けとめきれるのかまったく予想できなかった。
わたしが安田くんのファンになったのは2019年の5月で、時期的に言えば関ジャニ∞さんがデビュー15周年を飾るドームツアー「十五祭」に突入するすこし前だから、まだ一年半しか経っていない。
その短い時間のなかで、彼が髄膜腫という病気を患ったこと、開頭手術をしたこと、当初はそのことを公表せずに仕事に復帰していたこと、後遺症の発作が原因で背中と腰を骨折したこと、時期を同じくしてグループメンバーの脱退があったこと、6人*4になって初めてのツアーのステージに完治していない身体をおして立っていたことをだんだんと理解するようになった。
さいしょはファッションとしか思っていなかった色つきレンズの眼鏡は、術後の後遺症のために日常生活でも手放せないものだったし、アイドルとして完璧にみえるパフォーマンスは、思うように身体を動かせない葛藤や痛みとたたかいながら生みだしているいるものだった。
ファンになって少しずつ、自分自身と誠実に向き合ってきた表現者としての安田くんの姿勢を知り、知るたびになんどでもあらためて惚れたし、同時に彼の苦悩や煩悶をしらず知らずのうちにエンタメとして消費してしまったんじゃないかと不安にもなった。
『LIFE IS』は " 生と死の輪廻 " をテーマとした写真集。
闘病についての写真を見るのがこわいということではなかったし、見たくないということでもなかった。
むしろ、そこにあるすべてを見たいと思ってしまうのがこわかった。安易に見て、感傷的に消費してしまわないか、ふんぎりがつかずにいた。
結局わたしが#安田章大LIFEISのハッシュタグを使ったのは発売前に5回、発売後に1回のみだったけれど、発売前にあーだこーだ気をもんでいたわたしに言いたい。
見ればわかる。見ろ。心配するな、安田くんはもっとずっと先をみている。