どういえばいいのか、いえないな!

その瞬間に、ここで見たことや体験したことをみんな忘れてしまうのよ

ザ・ヒューマンを観た

2021年3月20日22:00~、安田くんのドキュメンタリーが放送された。

ザ・ヒューマン「揺るがない息吹を 関ジャニ∞ 安田章大

うちはBS対応しておらずジリジリしながら待って翌日NHKオンデマンドをUーNEXTさんから視聴したわけだけど、見終えて以降ずっと放心状態みたいな感覚がぬけなくて、見返して感想をまとめようとするんだけど全然連なりになろうとしない。

 

思いを巡らせようとしてもそれぞれの部分が分散して散り散りにはじけ飛んでしまう。

リアルタイムでツイートしてたらちょうどいい分量の細切れが無数に湧いてきて、なんとか数珠繋ぎにならないか試してみたけどそういうんじゃないんだよね。

 

どのシーンの安田くんもことごとくリアルであろうとしているし、かといってそれをリアルと受け止められるほど無垢でもない。

 

これは誰かと何かのフィルターを通ったリアルだし、それでも安田くんは伝えようとしてくれている。この堂々巡りなんよ。

 

なので今回はひとまとまりの文章として纏めるのを放棄する。

そもそもが人に読ませる意識が乏しいうえにまとめるのを放棄したら書く意味はあるのかという気もするけど、おさまらない感情を吐き出す必要に駆られていることだけがこのブログの存在理由なので、読んでくださるかたには本当にごめんなさい。

起承転結とか序破急とかそういう概念は本能のままにこねてドーナツにしてチョコかけて向こうがわ覗いて食べました。

 

つまりこれは字数制限のないTweet

たまに夢見るけど、実現したらけっこうな悪夢。

 

 

 

 

 

 

 

 

冒頭、『LIFE IS』の撮影に向かう風景が映って、映像があることは当たり前なんだけれど予想していなかったし、あまりにも『LIFE IS』が印象的すぎて、写真集の一枚がいま解凍されて動きだしたみたいな不思議な気持ちになった。

写真でも映像でも美しい横顔はそのまま。美しい。

 

「上手い歌い手っていうよりも、ちゃんとしたいい歌い手になりたいんですよ」と前をみつめる安田くん。自分のことを歌い手と表現するんだなとハッとした。

 

GR8ESTの映像、脳腫瘍の写真、開頭手術、骨折…ナレーションが伝える彼の身におきたこと。

「引退しようかなぁとは思いましたね。限界があるなって。僕このまま仕事やり続けたら死ぬんちゃうかなって」

「エンターテインメントって何がいいって生きる活力を届けられるっていうのが一番デカいですよね。うつむいている顔を少しでも上に向かせてあげられる、せめてまっすぐにでも向かせてあげられたら…なんて思いますけどね」

正視するのが苦しい。

 

 

テレビやラジオやwebでも自転車でけっこうな距離移動するって言ってたし、しまなみ海道で伊集院さんと遭遇エピソードもあるからてっきりスポーツタイプのロードバイクを想像してたし、有名人だからヘルメットやサングラスでお顔しっかり隠してるんだろうと思ってたのに、はちゃめちゃに可愛いターコイズブルーの自転車に安田章大まるだしで乗ってて頭大混乱した。

 

ボイストレーニングのドアップの横顔綺麗すぎるし唇プルプルしすぎてて無理(大変に良いの意)。アデル習作してるときマウスピース握ってるけど特になんの注釈もないのジワる。声を確かめているときの表情好きすぎてクッションぎーーーーーーーーってするなど。

 

白T着てアコギ抱えて笑う安田くんうちの窓辺にも欲しいです。

 

「友よ」はほんとうに身体に馴染んだ曲。歌詞が細胞から出てくるみたいに安田色。

「歌ってるけど言葉が聞こえてくるっていう歌い手って最高」

君は最高。

 

 

帰り際、オフィシャルな場では「バイバイ」じゃなくて「お気をつけて。さよなら」と手をふる。バイバイじゃないけどちゃんと手をふる。やすだきゅん…

そして下り坂スーッと降りていって曲がり角でもう一回ふり返って手をふるやすだくん。やすだきゅん…

 

728の日、本番でモーゼみたいに登場したって言われてた倉安のリハーサルはラスボス感がえげつなくて佇まいがドラマチックすぎて歩いて前にでてくるその数秒だけで映画3本くらい脚本書ける。(書けない)

 

ジュニアの子たちに「そんな感じで遊ぼ?」って言ってたときの声のやさしさカンガルーの袋の中くらいあったかい。(未体験)

 

幼少期の激しい可愛らしさとオカメインコ?に目が釘づけになりました。

 

ジュニア時代「強くあろうとしなきゃ闘っていけなかったんじゃないですかね」と語る安田くんにちょうど鹿の角がいい角度で重なっていて、言葉にビジュアルのエフェクトかかった。

 

17才で初めて買った単車で東京まで行った理由は「強くなれるかなと思ったから」なの主人公すぎて震える。

 

たこ焼きのソース「オレ辛いのがいいなぁ」の甘さ。

 

ウシガエルとかナマズとか金魚とか鯉とかを捕まえて遊んでたって笑ってるけど、どれも自然に生きてる生物じゃなくて誰かが放流しちゃったのに逞しく生き延びてる生き物だったのなんか時代感あるしパンクで笑った。

 

地元がすごく特定されそうだけど当たり前みたいにニコニコ笑ってて逆に心配する。

 

たこ焼き頬ばる安田くん、地球上の母性という母性を根こそぎ吸い寄せる愛らしさ。永遠に安田くんの口にたこ焼きを運ぶオートマチック割り箸になりたい。

 

ブランコしてる子が飛ばした横向きの靴見てすかさず「明日曇りやな」っていう。そういうところ。

 

中1のとき初めてファンレターをくれたなっちゃんは紫の文字で書いてたと覚えていてくれるのすごいね。そこから今につづくアイドルの道。

 

ピアスホールを通して後ろの明るい窓が見える。

 

リリックノートに炭治郎のシール貼ってるところ想像したら愛しすぎてハゲる。

 

はだけた肩。鎖骨。ネックレスチェーン。筋。伏し目。偽善者という言葉。

 

「10年前(3.11の時)これ以上書けなかったのはやはり自分自身がまだまだ偽善者なのかなぁっていう思いに負けたからだと思います。綴れなかった」

 

「僕たちはなにかに苛まれて心を疲弊していく」(ワンストローク

 

 

写真集の撮影をともにする初対面のお馬をさすりながら「どこ触られると嫌でどこ触るとおちつくの?」

移動中お馬がトイレ中と気づくとしっかり確認して「いいねぇ」って笑ってた。

 

写真集の撮影、遮るもののない風にさらされてとても寒いんだろうけど、とても暖かそうに見える。お馬の写真。

 

 

2017年のエイタメはヘルニアの手術をした後で立っているのがやっとだったというナレーション。ヘルニアの手術をしたのはもっと前かと思っていたのなんでだろう。

そこからの2年間があまりにも激烈で思いを馳せることにすらひるんでしまう。

 

「ふらつく、閉塞感がすごい、耳鳴り、あと揺れる。まわりが言うのは目つきが違うかったっていうのと、鋭かったらしいんですよ」

 

お母さんの記したメモが画面いっぱいに映る。

切迫した文字。時間の経過と出来事を綴っておいでる。

「大きな腫瘍は全部取りのぞいた

大きな腫瘍以外に小さな腫瘍がいくつかあった

大動脈に癒着していた部分は□□□□□(大動脈にキズつける為)」という書き込み

(□□□□□部分は番組による伏字)

大きい腫瘍は全部とれたけれど小さい腫瘍は残ったという意味なのか、それも含めてぜんぶ取り除いたという意味なのかわからないし、知識がないから伏字になっているところも推測できないけれど、とても怖かった。今もこわいです。

知ることの怖さと知らないでいることのこわさと両方がある。

とくに病状については個人のプライバシーでもあるし、これだけ公開してくれていることはどう考えても普通じゃないので。

安田くんが折にふれ、生きているってことだけで、呼吸をしているってことだけで素晴らしいんだよって伝えてくれる言葉の重みが胸に迫った。

 

「でも特に大倉かなぁ

大倉が…そう…なんか泣きながら電話くれましたね

思い出したら涙が出ますけど(こらえる表情。眼鏡の下の涙をぬぐう)

いやなんかもう無理せんといてくれって、

もうただ生きてくれって言われて…無理すんなってなんかこう…言ってくれましたね」

「確実に窮屈に生きてきてたなとは思いますけどね、

自分を追いこんでアイドルらしく生きなきゃダメだダメだって思って生きてきたのは間違いないです」

 

ここはもう言葉にすることは出来ない。ふたりの繋がりにただただ心打たれてる。

 

 

 

場面変わってまた別の自転車、ハンドルめっちゃぐいーんってなっててひらひら付いてて80年代のハリウッド映画にでてくる子どもみたい。

 

そして語る「偽善者」

 

「なにが怖かったんやろう」

「自分のことで精いっぱい

恐怖に追われて精いっぱい」

「行動におこせているか起こせていないかだけのことだと思う

なんでもいいんですよ、たぶん、やれば」

 

動物にふれているときの自然で柔らかな満たされた表情をみると、彼が人間の世界で生きていくためにシャットダウンせざるを得ない感性があるのではないかと思う。

それと裏腹に多くの人の前に立ち、そのエネルギーを攪拌して昇華させるステージにいる彼もまたそれなしではいられないようにも見える。

 

アイドルとして生きるんじゃない。

安田章大として生きる表現方法のひとつがアイドルであり歌い手であり被写体であり演者だということかな。

そして彼自身を見せることのリスクも、もうすっかりのみ込んでしまったのかな。

 

伊集院さんとのラジオで「2次元のアイドルじゃなく、2.5とか3次元とか、より立体感のある、人間らしい、人間力のあるただの人っていうのになりたくて」と語っていた。

そのただの人であるはずの裏側を映したふとした瞬間が、身がすくむほど美しくて、彼の積み重ねてきた、研ぎ澄ましてきたアイドルという型の屈強さにたじろぐ。

 

 

偽善者と言われて傷ついた。

薄い関係性の人から冗談や軽いノリで言われたとしたら腹は立つかもしれないけど、この人はそういうことを平気で言う奴って判断するだけで傷つきはしない気がするから、きちんと関係性のあるひとが発した言葉だったのかなという推測。

言葉そのものに傷ついたというよりも、その言葉を発したうしろに隠れている小さな棘、苛立ち、揶揄が、その人が自分をどんなふうに扱っているか象徴していたから傷ついたのかもしれないという憶測。

言葉を発した相手も無自覚な感情を汲んでしまう繊細な感応性。ありそう。

相手が無自覚ゆえに自分がそれほど傷ついたということは伝えないだろうし、伝えないままに関係性を保ち、その言葉をはねのけるだけの確信をえるなんて至難の業。

でもそのことを話しているときの安田くんはお風呂上りみたいにサッパリした表情してたからちゃんと解決したんだろうな。

 

自分がこう思ってるってオープンにすることは新しい関係を築こうとする意思表示だと思ってる。

感情を陽にさらすってタフだけど効能いっぱいある。

肛門日光浴みたい。試してないけど。

 

 

「変えるために立ち上がり

変わらぬなら立ち向かい」

ずっと頭の中で鳴りつづけている。

いつか作品として手にとることのできる日が来ますように。

ほんとうにいつも歌っているんだな。

それが揺らがない息吹なのかな。

 

ところで最初のころソファの横にあった白い…鳥?の置物?あれなんですか…それだけ教えてほしい………