閃光ばなし2
まとまったらまた続けますと書いたわりに一向に続きを更新していなかった。
11月4日にボク。に載ったやすだくんの、切なくもぽっかりと穴が開いたみたいな虚ろな表情を見たら、波紋のとどかない凪に浮いている自分のまとめが楽観的すぎる気がしたせいもある。
あとは単純にやすだくんの良さを書こうと思えば思うほどまとまらなかったって言うのが大きい。
やすだくんが、是政が、そのまなざしが、その熱狂が、その声が、なんて美しかったことだろう。
しみったれたどん詰まりに生きながら希望という炎を燃やして、博愛でありながら独善という薄氷のうえをただひたすら駆け抜ける魂を全身で体現していた。
やすだくん毎秒素晴らしかったよね。
どのシーンもやすだくんからキラキラした光の粒が湧き出ていて、この輝きを見つめる目、物語の全体を見る目、各キャストを見つめる目が少なくとも必要だ、圧倒的に目の数が足りない!って何度もなった。
好きだからこそこじらせて大っぴらに褒められないみたいなところもある。
感情のダダ洩れなTwitterなら言えることも、こうやって文章にまとめようとすると書けなくなる。
やすだくんのことが好きだから誉めているんじゃない、純粋に良かったから褒めたい。
演者さんみなさんリスペクトだから讃えたい。みたいな気持ちもでてくる。
それでどこから手をつけたらいいか見失うっていうあるあるです。
書いておきたいのは桑原さん演じる底根のこと。
彼女の放つエネルギーと期待感が大好きで。
舞台上に登場するたびワクワクした。
あっちの世界とこっちの世界を股にかけて繋いで見極めてなだめすかす知性とパワーを炸裂させて、
いろんな界隈にコミットしているはずなのに、どこにも安らげる場所を見いだせない無力感もただよわせ、
底根も好きだけど、その向こうに在る俳優としての桑原さんかっこいい!って単純に惚れました。
あと書きたいのは政子なんだけど、
政子って不思議とふわふわしてて。
捉えどころがないというか。
エキセントリックでたまにギャルだけど自己肯定感が泥沼でときどき捨てばちで、
まわりを焚きつけるのが異様にうまくてどん詰まりのアイドルだけどたまに巫女みたいになって。
急に
「ぜんぶ私のせいです、ごめんなさい」
「私は自分がキライだから一瞬でも今のままでいたくない」
「幸せになってはいけないんだ」
とか言い出すから目が離せなくて。(どうかこのセリフの記憶がわたしの妄想ではありませんように!記憶力!)
そりゃ是政じゃなくても俺(私)が面倒みなきゃ!ってなる。
設定としてあんなに是政が政子を想っているのはなぜなのかはとくに決まっていないと雑誌のインタビューでやすだくんが答えていて。
もしかしたら異母兄妹ということもありえるのかなという含みは観客にゆだねるとなっていたけど。
どうなんだろうな。
是政の政子への思いって兄妹の枠を超えるものなんだろうか。
そんなことある?ってシチュエーションで両親をたてつづけに亡くして、大人になるのを早められた兄妹が身をよせあって生きていこうとした矢先に是政のもとに届く赤紙。
戦争からぶじに帰っては来たものの、そのあいだに失ったものが兄妹それぞれにきっと大きいんだろうな。
政子は是政がいないあいだに結婚しているし、その結婚自体もどんななりそめでとか説明はまったくない。
急に現れる焼き肉屋の柳さん。
頼りなくて流されがちで、でも優しくてエキセントリックな政子のことをとても大事にしている人。
政子はちゃっかり愛されて仲良し夫婦ではあるけれど、いざというときには柳ではなくほかのものを見つめている…
政子、柳さんのことが好きで好きで結婚したんではなさそうだし、柳さんもそれは納得ずくって感じだった。
街のみんなが夜逃げをするときに柳さんが差し伸べた手を政子が握り返さなかったのが切なくてさ、
柳さんは新しい街で幸せになっていてほしいなと思うとともに、
自分が夫と同じ道を歩まないことを選択したときに政子は一体どんな気持ちだったのだろうと思いを馳せるわけです。
華ちゃんの演じる政子かわいかったな。
いかにもいたずらっ子ってかんじの茶目っ気たっぷりな表情、しなやかな身のこなし。
みんなが有難がるっていう踊りのときは神秘的で。
けっこう客席に背中をむけてのシーンが多かったのだけど、後ろむきの足の所作というか動きすらもキュートで。
目を奪われてしまった。
最初に書いたように『閃光ばなし』には終わりがない。
いや、あるんだけれども明確な結末ではなくて、観客それぞれの解釈にゆだねられている。
最後に政子が舞った踊りはどういう意味だったのか。
是政はどうなったのか。
いちばん救われたのはパンフレットの対談で、福原さんが
「みんなに届く作品ほどこちらの意図が誤解されている作品」
「作品がおこす感動って舞台上でおきているんじゃなくて、お客さんの心の中でおきていること」
と言ってくれているところ。
それに対してやすだくんが
「勘違いして受け取ってくれた何かが、その人の生きる糧に変わっていくことが僕にとっても舞台をやらせていただく面白さ」
と答えてくれているのが最高で、
あの疾風迅雷の舞台が吹き抜けたあとにひろがるどんな思いもマルっとオールオッケーにしてくれる言葉でした。
あらためてパンフレットを読み返して、対談のやすだくんと福原さんのお写真がとても好きでした。
なにも纏っていないようで、リラックスして、ちょっと内側をみつめているみたいな作り手としての表情。
2023年も表現者としてのやすだくんにも会えるといいな。
追記:福原さんが『9』のことを「ダブルミーニングのエロい曲」って言ってて笑った。