ザ・ヒューマンを観た
2021年3月20日22:00~、安田くんのドキュメンタリーが放送された。
ザ・ヒューマン「揺るがない息吹を 関ジャニ∞ 安田章大」
うちはBS対応しておらずジリジリしながら待って翌日NHKオンデマンドをUーNEXTさんから視聴したわけだけど、見終えて以降ずっと放心状態みたいな感覚がぬけなくて、見返して感想をまとめようとするんだけど全然連なりになろうとしない。
思いを巡らせようとしてもそれぞれの部分が分散して散り散りにはじけ飛んでしまう。
リアルタイムでツイートしてたらちょうどいい分量の細切れが無数に湧いてきて、なんとか数珠繋ぎにならないか試してみたけどそういうんじゃないんだよね。
どのシーンの安田くんもことごとくリアルであろうとしているし、かといってそれをリアルと受け止められるほど無垢でもない。
これは誰かと何かのフィルターを通ったリアルだし、それでも安田くんは伝えようとしてくれている。この堂々巡りなんよ。
なので今回はひとまとまりの文章として纏めるのを放棄する。
そもそもが人に読ませる意識が乏しいうえにまとめるのを放棄したら書く意味はあるのかという気もするけど、おさまらない感情を吐き出す必要に駆られていることだけがこのブログの存在理由なので、読んでくださるかたには本当にごめんなさい。
起承転結とか序破急とかそういう概念は本能のままにこねてドーナツにしてチョコかけて向こうがわ覗いて食べました。
つまりこれは字数制限のないTweet。
たまに夢見るけど、実現したらけっこうな悪夢。
冒頭、『LIFE IS』の撮影に向かう風景が映って、映像があることは当たり前なんだけれど予想していなかったし、あまりにも『LIFE IS』が印象的すぎて、写真集の一枚がいま解凍されて動きだしたみたいな不思議な気持ちになった。
写真でも映像でも美しい横顔はそのまま。美しい。
「上手い歌い手っていうよりも、ちゃんとしたいい歌い手になりたいんですよ」と前をみつめる安田くん。自分のことを歌い手と表現するんだなとハッとした。
GR8ESTの映像、脳腫瘍の写真、開頭手術、骨折…ナレーションが伝える彼の身におきたこと。
「引退しようかなぁとは思いましたね。限界があるなって。僕このまま仕事やり続けたら死ぬんちゃうかなって」
「エンターテインメントって何がいいって生きる活力を届けられるっていうのが一番デカいですよね。うつむいている顔を少しでも上に向かせてあげられる、せめてまっすぐにでも向かせてあげられたら…なんて思いますけどね」
正視するのが苦しい。
テレビやラジオやwebでも自転車でけっこうな距離移動するって言ってたし、しまなみ海道で伊集院さんと遭遇エピソードもあるからてっきりスポーツタイプのロードバイクを想像してたし、有名人だからヘルメットやサングラスでお顔しっかり隠してるんだろうと思ってたのに、はちゃめちゃに可愛いターコイズブルーの自転車に安田章大まるだしで乗ってて頭大混乱した。
ボイストレーニングのドアップの横顔綺麗すぎるし唇プルプルしすぎてて無理(大変に良いの意)。アデル習作してるときマウスピース握ってるけど特になんの注釈もないのジワる。声を確かめているときの表情好きすぎてクッションぎーーーーーーーーってするなど。
白T着てアコギ抱えて笑う安田くんうちの窓辺にも欲しいです。
「友よ」はほんとうに身体に馴染んだ曲。歌詞が細胞から出てくるみたいに安田色。
「歌ってるけど言葉が聞こえてくるっていう歌い手って最高」
君は最高。
帰り際、オフィシャルな場では「バイバイ」じゃなくて「お気をつけて。さよなら」と手をふる。バイバイじゃないけどちゃんと手をふる。やすだきゅん…
そして下り坂スーッと降りていって曲がり角でもう一回ふり返って手をふるやすだくん。やすだきゅん…
728の日、本番でモーゼみたいに登場したって言われてた倉安のリハーサルはラスボス感がえげつなくて佇まいがドラマチックすぎて歩いて前にでてくるその数秒だけで映画3本くらい脚本書ける。(書けない)
ジュニアの子たちに「そんな感じで遊ぼ?」って言ってたときの声のやさしさカンガルーの袋の中くらいあったかい。(未体験)
幼少期の激しい可愛らしさとオカメインコ?に目が釘づけになりました。
ジュニア時代「強くあろうとしなきゃ闘っていけなかったんじゃないですかね」と語る安田くんにちょうど鹿の角がいい角度で重なっていて、言葉にビジュアルのエフェクトかかった。
17才で初めて買った単車で東京まで行った理由は「強くなれるかなと思ったから」なの主人公すぎて震える。
たこ焼きのソース「オレ辛いのがいいなぁ」の甘さ。
ウシガエルとかナマズとか金魚とか鯉とかを捕まえて遊んでたって笑ってるけど、どれも自然に生きてる生物じゃなくて誰かが放流しちゃったのに逞しく生き延びてる生き物だったのなんか時代感あるしパンクで笑った。
地元がすごく特定されそうだけど当たり前みたいにニコニコ笑ってて逆に心配する。
たこ焼き頬ばる安田くん、地球上の母性という母性を根こそぎ吸い寄せる愛らしさ。永遠に安田くんの口にたこ焼きを運ぶオートマチック割り箸になりたい。
ブランコしてる子が飛ばした横向きの靴見てすかさず「明日曇りやな」っていう。そういうところ。
中1のとき初めてファンレターをくれたなっちゃんは紫の文字で書いてたと覚えていてくれるのすごいね。そこから今につづくアイドルの道。
ピアスホールを通して後ろの明るい窓が見える。
リリックノートに炭治郎のシール貼ってるところ想像したら愛しすぎてハゲる。
はだけた肩。鎖骨。ネックレスチェーン。筋。伏し目。偽善者という言葉。
「10年前(3.11の時)これ以上書けなかったのはやはり自分自身がまだまだ偽善者なのかなぁっていう思いに負けたからだと思います。綴れなかった」
「僕たちはなにかに苛まれて心を疲弊していく」(ワンストローク)
写真集の撮影をともにする初対面のお馬をさすりながら「どこ触られると嫌でどこ触るとおちつくの?」
移動中お馬がトイレ中と気づくとしっかり確認して「いいねぇ」って笑ってた。
写真集の撮影、遮るもののない風にさらされてとても寒いんだろうけど、とても暖かそうに見える。お馬の写真。
2017年のエイタメはヘルニアの手術をした後で立っているのがやっとだったというナレーション。ヘルニアの手術をしたのはもっと前かと思っていたのなんでだろう。
そこからの2年間があまりにも激烈で思いを馳せることにすらひるんでしまう。
「ふらつく、閉塞感がすごい、耳鳴り、あと揺れる。まわりが言うのは目つきが違うかったっていうのと、鋭かったらしいんですよ」
お母さんの記したメモが画面いっぱいに映る。
切迫した文字。時間の経過と出来事を綴っておいでる。
「大きな腫瘍は全部取りのぞいた
大きな腫瘍以外に小さな腫瘍がいくつかあった
大動脈に癒着していた部分は□□□□□(大動脈にキズつける為)」という書き込み
(□□□□□部分は番組による伏字)
大きい腫瘍は全部とれたけれど小さい腫瘍は残ったという意味なのか、それも含めてぜんぶ取り除いたという意味なのかわからないし、知識がないから伏字になっているところも推測できないけれど、とても怖かった。今もこわいです。
知ることの怖さと知らないでいることのこわさと両方がある。
とくに病状については個人のプライバシーでもあるし、これだけ公開してくれていることはどう考えても普通じゃないので。
安田くんが折にふれ、生きているってことだけで、呼吸をしているってことだけで素晴らしいんだよって伝えてくれる言葉の重みが胸に迫った。
「でも特に大倉かなぁ
大倉が…そう…なんか泣きながら電話くれましたね
思い出したら涙が出ますけど(こらえる表情。眼鏡の下の涙をぬぐう)
いやなんかもう無理せんといてくれって、
もうただ生きてくれって言われて…無理すんなってなんかこう…言ってくれましたね」
「確実に窮屈に生きてきてたなとは思いますけどね、
自分を追いこんでアイドルらしく生きなきゃダメだダメだって思って生きてきたのは間違いないです」
ここはもう言葉にすることは出来ない。ふたりの繋がりにただただ心打たれてる。
場面変わってまた別の自転車、ハンドルめっちゃぐいーんってなっててひらひら付いてて80年代のハリウッド映画にでてくる子どもみたい。
そして語る「偽善者」
「なにが怖かったんやろう」
「自分のことで精いっぱい
恐怖に追われて精いっぱい」
「行動におこせているか起こせていないかだけのことだと思う
なんでもいいんですよ、たぶん、やれば」
動物にふれているときの自然で柔らかな満たされた表情をみると、彼が人間の世界で生きていくためにシャットダウンせざるを得ない感性があるのではないかと思う。
それと裏腹に多くの人の前に立ち、そのエネルギーを攪拌して昇華させるステージにいる彼もまたそれなしではいられないようにも見える。
アイドルとして生きるんじゃない。
安田章大として生きる表現方法のひとつがアイドルであり歌い手であり被写体であり演者だということかな。
そして彼自身を見せることのリスクも、もうすっかりのみ込んでしまったのかな。
伊集院さんとのラジオで「2次元のアイドルじゃなく、2.5とか3次元とか、より立体感のある、人間らしい、人間力のあるただの人っていうのになりたくて」と語っていた。
そのただの人であるはずの裏側を映したふとした瞬間が、身がすくむほど美しくて、彼の積み重ねてきた、研ぎ澄ましてきたアイドルという型の屈強さにたじろぐ。
偽善者と言われて傷ついた。
薄い関係性の人から冗談や軽いノリで言われたとしたら腹は立つかもしれないけど、この人はそういうことを平気で言う奴って判断するだけで傷つきはしない気がするから、きちんと関係性のあるひとが発した言葉だったのかなという推測。
言葉そのものに傷ついたというよりも、その言葉を発したうしろに隠れている小さな棘、苛立ち、揶揄が、その人が自分をどんなふうに扱っているか象徴していたから傷ついたのかもしれないという憶測。
言葉を発した相手も無自覚な感情を汲んでしまう繊細な感応性。ありそう。
相手が無自覚ゆえに自分がそれほど傷ついたということは伝えないだろうし、伝えないままに関係性を保ち、その言葉をはねのけるだけの確信をえるなんて至難の業。
でもそのことを話しているときの安田くんはお風呂上りみたいにサッパリした表情してたからちゃんと解決したんだろうな。
自分がこう思ってるってオープンにすることは新しい関係を築こうとする意思表示だと思ってる。
感情を陽にさらすってタフだけど効能いっぱいある。
肛門日光浴みたい。試してないけど。
「変えるために立ち上がり
変わらぬなら立ち向かい」
ずっと頭の中で鳴りつづけている。
いつか作品として手にとることのできる日が来ますように。
ほんとうにいつも歌っているんだな。
それが揺らがない息吹なのかな。
ところで最初のころソファの横にあった白い…鳥?の置物?あれなんですか…それだけ教えてほしい………
マシーン日記を観た
マシーン日記を観てきました。
ネタバレ等モロモロ含めて一切合切ぶち込み感想です。
先ず、サカナクションがやばい
舞台音楽でこんなにアガったの初めてだった。
このへんの塩梅とかちんぷんかんぷんなんだけど、照明とか音響とか映像とかのあおりがどえりゃあじゃないですか
一発で世界観バァーーーーンと構築してくる
ポップなアナログでアゲのアゲのアゲ
その上に4人の演技、その上にまたサカナクションの音楽、相乗効果のミルフィーユやぁ…!才能のおそろしさ
横山君はジャニーズになるべくして生まれてきた生命体と再確認
とくに声。声がやばい。初めて現場で聴いたので、その第一声にひぃぃぃぃぃい!!と毛穴が縮みました
なんなの、生粋のアイドルか、むしろこの声でアイドルしていなかったら人類の損失甚だしい。
損益まっしぐら。
あらためてジャニーさんありがとう…ここにあなたのエンタメの申し子が今日も輝いてました。
ジャニーズ事務所よ純利益増永遠なれ…
まぁ声だけじゃないですよね、ビジュアルは言うまでもなくとんでもないわけで
センターステージで常に舞台上に繋がれてるけど、主旋律に関係ないシーンの時はライトの当たらないところでうずくまっているだけなのにそのシルエットがまた少女マンガだし
媒体で見てるとついつい細部の美しさに目を奪われがちじゃないですか(己の習性)
パーツとしての美しさに見惚れてしまうわけだけど、全身像として生命を感じつつ芸術も感じる!
OMG!!!
神の恩寵ここに極まれり。もう乳白色の発光体としてルーブル収蔵してほしい。眩しい。
あと金髪はもはや地毛。間違いない
こっから何が言いたいかというと、とにかく横山君は度量が広い
めちゃくちゃ広い。
同時に、周りがなにをしてようと構わない、俺は横山裕なんだし。っていう程よい素っ気なさみたいなものがある。
だからこそまわりがどんな無茶振りもできる。ほんで無茶振りしてんのにちゃんとそれに応えてくれる。おいおいおいおい対応力無尽蔵かよ
加えて見た目が20代なのに経験値は40代だから(まだ40代ではありません)見ている脳がバグる。なんだこれ最高か…
大倉さんの演技好き。
キレてても殴っててもイッちゃっててもどこかのポケットにユーモアを隠し持ってる。
そのユーモアが物語をけん引する狂気の報われない愛情を切なく見せてる。
まぁ狂気だけど。
純度10000%の。
アキトシお薬飲めてたらよかったね。って思わせてくれる懐のふかさ
演劇のイロハを知らないからただただ、オメェほんとにウメェなぁ!って悟空みたいになっちゃう
森川葵さんはとにかく器用。
パンフレットにも根の明るさが演技に出るって話があったけど、とにかく迸るその多才さが隠しきれない。
サチコの陰キャ設定と相反しやしまいかと途中まで勝手にソワソワしてたけど、そもそもサチコって陰キャなのか?いじめられて自殺を考えてた過去があるとしても先生に放課後4時間走らされて大会の新記録たたき出すポテンシャル、そもそも陰キャとは言えないんじゃ?カモフラージュがいつのまにか自他ともに刷り込まれて記憶を改ざんしているのでは?と深読みさせるほどのポジさがある。スペックがすごい。
最後のドロシーになるところめちゃくちゃ怖かった…
そしてなんと言っても秋山菜津子さんがバリッバリにカッコイイわけですよ!!
立てば彫刻、座ればシネマ、歩くすがたはモードって勢いで舞台を支配しまくる存在感。
それぞれの名称とともに横山くんと体位を振りで魅せてくれるシーンがソリッドで最高だったし、部品を組み立てる振りに痺れた。
理不尽な整合性のなかにふとやわらかな人間味があったりして、すげーーーー。すげーーーものを観た。
と、勢いのままに吐き出したけど、あれですね、生の舞台のあの混沌とした世界観に言葉はぜんぜん追いつかないですね。
狂っているけどポップ。
ネガとポジの交配。荒廃。
屹立する孤独と受胎する血脈。
ぶじ千秋楽まで完走できますよう。
語尾♡
〘音源をなるべく忠実に書き起こそうとしたとき、語尾に♡をつけないとどうしてもこのニュアンスは伝わんねぇ!っていう話し方をする人がいるという事実〙
11月7日に開催されたanan創刊50周年イベントである SHIBUYA SCRAMBLE FESTIVAL 2020 のステージに登場した安田章大さんと、写真家の岡田敦さん。
写真集の発売からこれまで、雑誌やテレビ、ラジオなど多岐にわたる媒体で写真集について語ってきたおふたりですが、揃って写真集『LIFE IS』(2020年9月24日発売)について公の場で対談したのはこれが初めてでした。
全身を黒でまとめたニュアンスお揃いみたいなコーディネートのシックなおふたりが、終始にこやかに柔らかな雰囲気をまとわせて話してくれた写真集制作のエピソードの一つひとつがあまりにも美しくて、文字として残したいという欲望を抑えることができませんでした。
自分のための記録として書き起こしてあるので、実際の話し方からは多少読み言葉として文字列を整えてあります。
また進行役のかたとの掛け合い部分はなるべく省略し、安田くんと岡田さんの言葉にのみ焦点をあてました。
おふたりの話し方があまりにも穏やかで、かつ真摯に響くので、そのトーンをなんとか写しとりたいという欲求と、文章として書くときに「-」や「…」を多用するのはどうなんだという自己基準の狭間でめちゃくちゃに揺れております。
最終的に、ここはどうしても「♡」をつけておかないと未来の自分から罵倒されるだろうと思える一点にのみ絵文字(?)を使いました。
だってそのときの安田くんが可愛すぎるんだ。これはもう、しょうがないんだ。
というわけで…
(登場)
【安田くん(以下 安)】よろしくお願いしまーす。
【岡田さん(以下 岡)】よろしくお願いします。
【安】(椅子をすすめられて)失礼します。もう(配信)やってるんですよね、今ね。長めの拍手をありがとうございます。
_ananにはどんな思い出がおありでしょうか?
【安】あのですね、うちの関ジャニ∞のメンバーの大倉と横山がですね、以前にちょっと露出多めの、あのーセクシーショット多めの表紙と中ページをやってたのを見て、えっと、ヤキモチを妬いた思い出があります。いつか僕にそんなオファーこないのかなって思い続けてまだ一回もきてないので(笑)来ないなー!と思いながら、ま、でもいずれ来るかなと…
_安田さん自身の思い出は?
【安】初めて表紙を関ジャニ∞として一緒にやらさしていただいた時に親にすぐ言いました。普通の雑誌とかもいろいろ表紙できるのも嬉しかったんですけど、アイドル誌から卒業し、大人な雑誌で表紙を飾るって珍しくて、自分の中で大きな階段のひとつだったのでヤッタ!と思いましたけどね。
_その時どうでした?
【安】僕の大人の芸能界の先輩から「ananの表紙やってるやん」って言われました。すっごい嬉しかったの記憶に残ってます。
_岡田さんはいかがでしょうか?
【岡】僕は去年の3月に安田さんと誌面で対談させていただいたのが初めてで、それがきっかけで色々発展して今日に至っているので、すごい、なんか…胸にくるものがあります。
_対談のきっかけは?
【安】あの、ananで『色気の哲学書』っていう企画…コーナーをやっていただいてたんです、関ジャニ∞として。その中で僕がチーフマネージャーさんから会いたい方、トークしたい方っていうことを訊かれたときに、僕10年ちょっと前くらいから岡田さんに片想いをずっとしていたので、岡田さんと対談したいってことを言ったら岡田さんがちょうどその時スケジュールが空いていて、快諾してくださって引き受けてくださったことがきっかけですね。
_オファーがあった時はいかがでしたか?
【岡】いや、僕10年前から、その、僕の作品を好きだと言ってくれてて、多分その時にお礼の写真集を送った記憶があるんですよ。
【安】頂きました。
【岡】で、たぶん手紙を書いた記憶があって。
【安】ハイ。
【岡】何を書いたか覚えてないんですけど、いつか一緒にできたらいいねっていうようなことを書いた記憶があるので、その10年越しの約束を果たすというか、そういう感じでオファーを受けましたね。
【安】僕めっちゃ記憶に残っているのが「なんで僕の写真集を好きになったんですか?」って言われましたね。
(一同笑い)
_なんでだったんですか?
【安】いや、すごく「生きてる」というのがすごく伝わってくる写真だったんですよね。写真ってやっぱり静止画なんですけどそれが動画として捉えられる写真家さんだったので。五感を感じる写真といいますか、その現場の匂いが感じたり、~(録音が途切れて聴きとれず)ような感覚があったりとか、そういうのを感じさせてくれる写真家さんだったので、ということですね。
_そういった思いもあって今回写真集を作る、ということに至ったんでしょうか?
【安】そうですね。
【岡】そうですね。
【安】ananさんで対談させていただいた1カ月後にふたりで食事に行き、で、その時にお話ししたんですよね?
【岡】そうですね、その時になにか一緒に作ろうという話しをして、けっこう具体的にどういうものを、「今」「このふたりでじゃないと出来ないもの」とか、「ふたりだから作るべきもの」みたいな話をして、かれこれ企画書かき始め…
_その際に安田さんから岡田さんに希望があったという風に伺っているんですけれども
【安】その3つ。
【岡】まぁ、具体的にこの3つですということではなかったんですけど、沢山、こういうことをしたい、こういう表現をしたいっていう中で、僕の中で大事に残そうと思ったのが、まず闘病中の写真を発表したいということ、
【安】そうでしたね。
【岡】で、やっぱりその病気を経て命のことを伝えたい、で、アート本にしたいという、これが3つなかなか同じ本で表現するのが難しかったので、それはすごいハードルが高かったというか…難しかったところですね。
【安】…でしたね。だから岡田さんが撮ってくださった本編の写真がこっちに入ってて、こっちが闘病中の冊子になっているっていうことなんで、もう分かれている状態に仕上がったんですけど、ということですね。うん。
_これは撮影はどちらで行われたんでしょうか?
【岡】これは北海道の根室半島で撮影しています。僕が10年くらいもう根室に通っていまして、やっぱり命のことを表現するっていうのは非常に難しいことなんですよ。これまで芸術家に限らず小説家もミュージシャンも哲学者も様々な人が生きるとはなんだろうっていうことを考えながらも、しかし答えを出せてこなかったことを数日のロケで超えることができるのかっていうことを考えた時に、僕らが語れないことを代わりに語ってくれる風景とか歴史とかそういうものに頼ろう…頼らざるを得なかったので、そういう意味で根室という町は命のことを表現するのに非常にいい場所というか表現しやすい場所なので。だったらここで撮ることが一番安田くんが表現したいことが形にできるかなという感じで選びました。
【安】うん。
_安田さんは根室に行かれてみていかがでしたか?
【安】えーっとね、生命…そのどんどん生きていけば朽ち果てる時もありますし、そっからまた芽吹くこともありますし、そういう、こう、どんどんどんどん繰り返して、歴史がくり返されている中で命がつながっていってるっていうのは、僕は撮影しながらすごく実感しました。
やっぱりそれが土地がもっているエネルギーだったりとか、岡田さんがおっしゃったように過去の歴史があるから僕たち今あるし、今が僕たち一生懸命きっと生きてるから未来の子供たちになにかが繋げるんだろうしっていう風に思うので。それをこの根室の土地ですごく感じましたかね。
_今こちらにもお写真が何枚か…根室の景色ですかね?
【安】これ海氷ですね。海が凍っている状態、ですか?
【岡】そうですね、凍りかけて乗れるぐらいの状態です。
_乗れるんですね
【安】うん、でしたねー。
_(写真集が完成して)最初ご覧になった時いかがでしたか?
【安】うーーーーーん……
どんな風に人に届くのだろうな、と。思いました。やっぱり命のことを扱っているということだけあって、人それぞれ感じ方が違うと思うんですよね、なのでタイトルにも『LIFE IS』というタイトルを使っているんですけれども、岡田さんと本当に〆切り…正直言うと〆切りもう越えてますよって言われるまでギリギリまで考えつくして、タイトル案も何十個でました?
【岡】50以上出ましたね(笑)
【安】そうなんですよ(笑)出してだして出してだして…で、スタッフさんの中でも『LIFE』というタイトルが上がったりも、僕たちの中でもあったんですけど『LIFE』だと違う、『LIFE IS』だと…うーーーん、いいね!みたいな(笑)感じになって。で、そのあと『LIFE IS…』いわゆるドット、ドットみたいなのが付くことによってどうなんだろう、僕は付けたほうがいいんじゃないかという話をした時に岡田さんが『LIFE IS…』だと…
【岡】ちょっとやっぱり、こう、悩んでいるというか、読者にその「…」を託しているイメージがあったので、安田くんが命のことを表現するという上で覚悟のようなものがタイトルに顕れたほうがいいなと思ったので。
【安】だったら『LIFE IS』にしようか、という話で、ぜんぶ大文字でビシッと届けようか
_大文字というのは何故なんですか?
【安】大文字というのはなんでだろうかというところで言うと、僕の認識で言うとやっぱり人生というのはどうなっていくのか分からないということに俺は戸惑いがない、というメッセージを込めたつもりではいました。うん、ひとつひとつ丁寧に。
【岡】やっぱりこう、視覚的にみても覚悟が…
【安】うん、強いですね、
【岡】大文字の方が強いので、それをこう表紙であらわすことが中を読んでいく時に生きてくると思ったので、これはやっぱり小文字ではダメだったかなと。
_(『LIFE IS』の写真を映しながら)こちらは?
【安】こちらね、奇跡の雪ですね。
【岡】雪ですね。
_雪が降っている?
【安】ずっと降りつづいている状態ですね、数時間で…そのちょっと前まで降ってなかって。で、降りはじめて。予報でも降らないとされていた雪だったんですけれども、これがここまで積もってくれたんですよね。
【岡】そうですね、ここは本当は夏は霧が濃い場所で、ほんとに神話の中を歩いてるような雰囲気で。この日は霧ではなくて雪がほんとにきれいに降ってくれて、まぁ、なんかここまでいい感じに降ってくれたのは初めてでしたね。
【安】現場に行って、この写真、岡田さんがここを見た時に「安田くん、ここひとりでずーーーぅっと向こうまで歩いてもらっていい?」って言われて。「あぁ、もちろんです」って言って。なのでこういう風に足跡が一切残ってない中をひとりで、こう、歩いていく。だから『LIFE IS』っていうテーマの中にすごく意味も含まれて合っていると思うし、これからどういう風に歩んでいくか人生わからないことばかりじゃないですか、なので、その中でそれでもいろんなことを葛藤…いろんな思いをしながら良いこともあれば悪いこともあったりする中で、ひとりでも歩んでいく力を皆みなさん持っているんだよっていうことも届いてほしかったりもしたし。
【岡】これは結構この写真集の中で大事な写真で。写真って不思議なもので、被写体との距離が近いほどその人の心を写せる、っていうわけでは実はなくて。その物理的な距離によって精神的な距離を縮められるものではないので、安田くんのなんていうか佇まいというか、この世界に生きている安田くんの命の美しさのようなものを捉えたかったので。それが何ていうんですかね…人が生きていくことの肯定をすることであったり、命を肯定することに僕はなると思ったので。
安田くん自身も自分の経験したことを人のために伝えたい
【安】うん。
【岡】…とか、託したい、ということがあったので。なにかそういう意味では安田くんの姿を美しく撮ることが誰かの背中を押すことだと思って。
だからそういう思いでこれは撮りました。
_神秘的で、でも力が湧いてくる感じもあって…。
【安】はい、ありがとうございます。僕だってレアな意見です、岡田さんから聴くの。別に撮り手の気持ちと撮られてる側の気持ちってやっぱり常に交配はしつづけて撮っているわけではないので…シンパシーとして感じあって撮影をしている状況下ですね。
だから次のこの写真とかもそうですね。
これは岡田さんが現地でね、場所をいろいろと考える中で防空壕を選んでくださって。それでえっと、空気孔っていうんですか?
【岡】天井に30センチ四方ぐらいの空気孔があって、そこからその、スポットライトのように光が入ってて…
_自然光が入っててということですね。
【安】太陽…だから12時、テッペンをつかって撮った写真ですね。
_じゃあそれは時間をしっかり狙って?
【岡】そうですね、どうしてもこの光で安田くんを撮りたくて。まぁ東京でもスタジオで撮れるといえば撮れはするんですけど、やっぱりこの防空壕の中の、こう、空気とかピリッとした感じとか匂いとかってパソコンでいくらイジッても写らないんですよね、
【安】写らないですよね…
【岡】だからそれをこの場で撮らなきゃというのと、安田くんが病気をしたっていうのはあくまでも個人的なことなので、そういった経験を個人の話として語るよりも、もうちょっと歴史的な要素も含めることによって、命のことを表現するのを多面的にできるので、そういう意味の、この場所の力を借りるというか、
【安】そうですね、ひとりで語りきることは出来ないですもんね。
【岡】なので僕らが語れないことを代わりに語ってくれる場所として、ここが必要だったのかな、という。
【安】個人的にもですけど、独りでね、この暗い…これフラッシュも焚いていないので真っ暗な中で撮ってて、サイレントにしてるんで撮ってるタイミングも判らないんですよ。なのでここで、静かに僕ここの空気を吸ったり、ここの感覚を味わってると自分の中の自分が、色んな人が入れ替わるんですよ。だから表情がぜんぶ違うんですよ、岡田さんが言うんですけど。その時感じる感覚っていうのが大きく毎回変わっていく。時間とともに。で、自分の表情が変わっているのが写真を見て自分で気づいて「こんな顔してたん、俺?」っていう話はしてました。
っていう感じでしたね、この写真。
【岡】いや、これはもう、僕が見ても違う人が写ってるみたいなものが沢山あって。たぶん載せたらファンの方も気づかないぐらい…
【安】なのでこれがもしかしたらその土地がもっている歴史だったり、その土地のもっている力なのかもしれません。
_表情のちがう写真は写真集には何枚かはあるんですか?
【安】6枚…全部で6~7枚ですかね
_続いてこちらは?
【安】北海道のお馬さんですね。
【岡】これは道産子。
【安】道産子という種類。初めて、この写真集の中では唯一じゃないですか?動物と…いろんな命がありますけど、動物というカテゴリーの中での命と触れあっている写真というのであれば。…ですよね?
【岡】そうです。笑顔の写真集ってアイドル写真集ではよくあるんですけど、なんていうか、カメラにむかって笑ってる笑顔っていうのはこの作品に関しては必要ないだろうなと僕は思っていて、そういう意味での笑顔ではない笑顔というものを描きたかったんですよね。なのでどちらかというと、生きていくために必要な笑顔としてこの本の中に在ることが一番意味があると思ったので、それを撮るために生き物と触れてる姿がいいかなと思って。
【安】僕はもう、その現場で写真撮ってもらってる時に、ここに触れてる時にめっちゃ感じましたね。この生き物の生きてる温度とか、常に鳴りつづけてるけど僕たち普段聴こえていない心臓の音とかっていうのが僕の中で自然と、笑いきってはいないんでしょうけど口角が上がるっていうんですか?温もりに触れるってやっぱり…あぁこういうことが生きてるって感じるんだなぁって。命の尊さ、温かみとか美しさ、儚さってこういう時に感じんねんなぁって、すごく感じました。
【岡】良い表情だよね
【安】アッハッハッハ!めっちゃ褒めてくれたやん!ふたりで褒め合ってるってアカンやん!アカンことないか!いや…ありがとう ♡
_この時もそこにお馬さんがいたから、という感じですか?
【岡】これは牧場の方の馬なんですけど、普通に安田くんと触れあってて、
【安】そう、野生馬…まぁフリーの状態なので動き回るので、結局はたまたまこれが撮れたんですよね、ラッキーなことに。
_人間らしさというか、すごく伝わってきます。
【安】僕たちもね、人ですけど僕たちも同じ動物なので、うん、なんかそこの垣根を超えられた写真になれたのかなぁという風には思いましたね、はい。
_続いてはこちらですね。
【安】来た…。これ羽織ってるの熊の毛皮なんですよ。ね?
【岡】熊ですね。
【安】熊です。で、実際この撮っている森の中にも野生の熊だっていたりしますよね?
【岡】ここも居ますね。
【安】はい、なので、僕はもう岡田さんと写真撮ってるとき、岡田さんにカメラ向けられてるときは「殺られる」と思って撮ってるんですね、
【岡】(笑)
【安】撮られてるんです。僕は「殺ってやるぞ」って気持ちで撮ってるんで、これはもう熊の毛皮羽織ったとき、僕はもう確実に熊の気持ちになってました、本当に。だからこういう表情になってるんです。
_今までの写真とはまた全然表情が違いますね。
【岡】そうですね。これ、意図としてはこの森が三千年ぐらいで出来た森なので、そういった人間の寿命と違う時間軸の中で写真を撮りたかったのと、命を語る時に人間の命だけで語るのも小さな話になるので、人間に食べられるとか、服を着られるとか、そういう人間の命をつなぐものの動物のなにかを借りて撮影しようと思ったんですけど、まぁほんとに熊になりきってたので…
【安】うーん、不思議でした。やっぱりでもねぇ、熊の毛皮を纏うことによって人間の感覚じゃなくなるんですよ。耳の研ぎ澄まし方とか、自分がこの森で生きていくためにはどうしたら生きていけるのかという神経に変わったし、うん、人が入ってくることによって熊というのは本当に敵として見做してんねんな、という本能的感覚っていうんですかね、っていう風なところもビシビシきたし。
_そういった感じがやはりカメラ越しからも伝わってきましたか?
【岡】いやもう成りきってしまっているので、本当になんて言うんですかね、アイドルを撮っているという感覚は全くなかったですね。
_どんな感覚でした?
【岡】んーーー、やっぱり生き物。…です。
【安】そっかぁ、一番うれしいわぁ。
【岡】(笑)
【安】アイドルとして存在してなかったっていう時、の言われ方が。普段のお仕事はね、アイドルというお仕事をしてますけど、こういう風な命を扱うような、人生を扱うような写真集の写真を撮ってる時にちゃんと「生き物」としてそこに存在できた、というのはうれしいかな、うん。
_では続いてのお写真いきましょう。こちらは何でしょうか?
【岡】まぁ、これはあのぅ、うーん、どこまで説明しようかな。んーー、まぁ、周りのは、あの…鹿の角が燃えていて…
【安】現地ですよね。
【岡】現地で集めたもので、
【安】現地の命ですよね。
【岡】まぁ、一応命のことを表現しようと思ってやって、ただ僕の中では全く死をイメージしたものではなくて、
【安】僕もです。
【岡】むしろこの、よく見ると安田くんの身体が寒さに負けないようにすごい力が入っていたり、口のまわりから出てる息が白くなってたり、そういう意味では生に対して、こう、生きようっていうエネルギーがすごい身体から出てるのが、僕はそう感じたので。だからあまり…あの、悲しい写真と思われる人がいるかもしれないですけど、僕の中では視覚だけ見てそうではなくて、もっと先を見てくれたらきっと安田くんの中の生への希求みたいなものが感じてもらえるかなとは思ってます。
【安】已まない滾る命の、なんかこう勢いっていうことかな、僕も。生きていくうえで大切なことですからね。必ずどっかで迷ったりとかした時に、燃えてたはずの、燃えさかっていたはずの息吹とかエネルギーってどっかで一回立ち止まっちゃうことによって、ふと消えちゃう瞬間って必ず人ってあると思うので。そういう意味で言うと前に進んでいくという、岡田さんとおなじ、同意見ですかね、僕も撮られてる時。
極寒!!でしたけどね。
_これは足元の方が裸足ですよね?
【安】はい、何も、あの、下半身とかもその…まぁ何も履いてない状態、ホンマにこのコートみたいのを纏っている状態って感じでしたね。
【岡】着てなかったですね。
【安】でもそれだけやっぱり、人って生きていくうえで、うん、エネルギーが必要だと思うのでね。
【岡】寒いからカイロ貼ったらいいよとか言っても聞かないんですよ。(笑)
【安】(笑)
【岡】やっぱりその寒さの中で出る表情を撮ってほしい…
【安】そうなんです。嘘、がイヤなんです。そういう意味で言うと。バレる…岡田さんもずっとおっしゃってたんですけど嘘をひとつでも乗せることによってバレてしまうから、それは命のことを扱っちゃだめだと思うってことをお互い思いあってた部分があったので。はい。こういう形に至りました。
_表紙の写真を選ぶのは結構大変じゃないかなと思うんですけど?
【岡】あぁ、まぁそうですね。でも一番この表情を…見た人によっていろんな読み方ができる表情だと思ったので。あんまり判りやすく喜んでるとか泣いてるとか、そういうことではない方がいいかなとは思ってました。
【安】不思議な顔してますね、なんか、なんとも言えない…
_でもその感じがすごい良いなと思いますね。
【安】ありがとうございます。
_最後に配信をご覧になっている方へのメッセージを。
【岡】遅い時間までありがとうございます。写真集ご覧になってない方は多分話の内容が分からなかったと思うので、この写真集、アイドル写真集ではない、アート好きの方とかも是非見てほしい思ってますし、なにかこう、生きることとか考える時にもヒントになるものがあると思うので、ぜひ安田くんの姿を見てください。
【安】僕、あの…脳腫瘍という病気を患い、経験させていただいた経験値を、やはりこうやって今生かさせていただいているので、多くの方になるだけ力を届けて、自分で、ひとりで生きていくのは大変だと思いますし、立ち止まることも多いと思うので、なにか僕の力を届けて次に繋げられたらなという思いで岡田さんと制作させていただいた次第です。あの…生きてくうえで、えーっと…バイブル本といいますか、支えになれたらなと思っています。
_ありがとうございます。
【安】ありがとうございました。
【岡】ありがとうございます。
『LIFE IS』 にまつわるあれこれ ~好きがあふれる編~
『LIFE IS』 にまつわるあれこれ ~本体編~
そしてその日、わたしは写真集を覆うフィルムを剥ぐのです。
※ここから先はネタバレを含みます。というか、ほぼ写真集の描写です。
画面越しになんども見てきた表紙、思っていたよりも厚みのある実体。重み。
帯を読み、はずしてテーブルのわきに置いた。安田くんの独特な語感を整えた文字列。
ミニブックはそっけないほど爽やかな色味とサイズで、ほんのオマケみたいな顔をしていた。君は最後ね、と白い小冊子を帯の上にのせた。妙に目がはなせなかった。そっと息をつめている自分にきづいた。
晴れていた。空もミニブックの文字とおなじ明るい青だった。
椅子を窓ぎわにもっていき、腰かけた。
カーテンをすかした午後の陽はまだ高くて、膝の上の写真集の洋書をおもわせるデザインがただ単純に好きだな、とおもった。
カバーを外すと本体表紙には岡田さんがanan*1で「森の生命でできている十字架」と表現した景色が印刷されていて、安田くんの表情が内包しているものをおもわせた。
『LIFE IS』
生と死の輪廻。
はやる気持ちとうらはらにそっとページをめくった。
そこから始まる世界。白い雪と氷の世界。
それは不思議な感覚だった。たしかに知っている安田くんがいて、同時にそれはまったく知らない安田くんだった。
無意識に指が写真をなぞった。目では追いきれない何かを探るか、未知の象形文字をたどって意味を読みとろうとしているみたいに。
サラッとした紙の感触が心地よかった。
見ても見ても尽きることがなかった。
切実な存在感が在った。
凍えた吐息が白くもれだすのを感じるほどの寄り。
朝焼けの薄桃色の光にふちどられた輪郭とそこにある手術痕。
頼りなげで心許なさそうな後ろ姿。
きしむ氷、体温のない世界、自然の美しくて冷酷なすがた。
写真を見ながら、頬を刺す冷気や、雪をふみしめる足音と自分の鼓動しか聞こえないほどの静寂や、寄せては引く海鳴りを感じた。
それはわたしの記憶から呼びだされたものでありながら、写真の中で安田くんはたしかに、その茫漠たるかなしみのただ中をひとりで歩んでいた。
永遠と刹那の両方に生きていた。
ふとかいま見せるほほえみは知っている表情のようで安心するけれど、そのほほえみが包み隠しているのは慟哭だった。剥き出しの叫び。
雪を踏みならす乱れた靴あとと、そこにたしかにいた存在の意志と息づかいをかんじる血文字。
INCARNATION OF LOVE。
愛の化身。
一転して漆黒の世界に白をまとった姿。圧倒的な無の中であえぐ魂。
おびえ、祈り、浮遊する魂、生への渇望と痛み。
行き先を求めて彷徨う肉体。
人工物の開口部に立って奥の暗闇をみつめている彼のその背後を埋めつくす、おびただしい数の裸の枝。生命力の萌芽。
彼があるひとつの集合体の表出した一部にもみえるし、彼自身の深層の底しれぬ暗さ、広がりの比喩にもみえる。
人工物は朽ちていく、うち捨てられる。
かつて生命のあったもの。かつて生命を宿したもの。
人間であること。
甘美な死。
猥雑さ。
侵入と警戒、無邪気な欲求。
生命の営み、人間の介入を許さずに連綿と受け継がれていくもの。
満天の星。原始の祈り、あけぼの、黎明。めぐる血。
影と焔。
横たわる姿が安らかな死を受け入れるのか、死を押しもどして生まれ変わる儀式なのか。
炎のはぜる音を聞いただろうか、熱を感じただろうか、背面から氷の冷たさが忍び寄っただろうか。
ふたたび静寂。あるいはストップモーション。
初めて他の生命がもつ温もりを感じる。吐息、匂い。それまで屹立していたたったひとりの世界が他の生命に触れたとき、そっと寄りそい、安堵の表情をみせる。
笑顔、ほどけた緊張、てらいのない距離の近づけ方、純心。
風を感じた。流れていく空気と、大地の息吹をかんじた。
生きるということ。体温。
赤い衣装をまとい、世俗を引きずった表情。
しがらみや雑多に絡みつく人間の感情に嫌気がさしているようで、それでいてずっと生気に満ちている。
変化の兆し。融解。
ふみしめる足元、長く伸びる影。
身にまとっていたものを脱ぎ捨てるところなのか、今から袖をとおすところなのか。
横から伸びる光にまぶしそうに目を細めて、舞うように手をのばした。
なんてことのない瞬間を美しく象る身体性。アイドルの光彩。
波、波、波、うちよせては引いてゆく泡立つうねり。
激しい表面のしたにかくした、静かな海底。
見ながらなんども涙をぬぐった。本に零して濡らしたくなかったから。
等身大の僕、等身大のただの人を見せたいと安田くんは写真集のおわりによせた文章の中に書いていた。
でも見終えて安田くん自身のことがよく解ったという気持ちには不思議とならなかった。
彼の瞳に映るもの、その口元にうかぶ哀しみ、涙の本当の理由を知ることは永遠にないんだというある種の清涼感のほうが強かった。
ただただ愛しかった。
生きている安田くんが愛しかった。
失っていたかもしれない存在が今同じ時間軸に存在していること、そもそも安田くんという存在に出会えなかったかもしれない平行世界があったこと、それでも今こうやって彼の求める表現に触れうる現実、すべてがいちどに押しよせてきて感情がのみこまれてしまいそうだった。
余韻をたしかめずにすぐにミニブックを手にした。
手のひらにおさまる青一色の濃淡で印刷された写真たち。
MRI画像。包帯。縫合箇所。むくんだ顔。どんな時でもレンズのむこうの撮影者に優しくむけられる笑顔。まなざし。
やっぱり泣いた。
泣くしかすることが無かったと言ってもいい。
すべてはわたしが安田くんというアイドルに出会う前の出来事で、すべては通り過ぎた過去たちだった。
わたしが初めて彼の歌とギターに釘づけになったとき、安田くんはもう、このすべてを形にして送りだそうと動いていた。
彼自身の葛藤や痛みを抱えながら、それを経験値と享け入れていた。
この一年半のあいだ、なんども安田くんが自分の病気や怪我について発する言葉にふれてきた。
そのたびに少しは理解できるような気がした自分がとても恥ずかしくなった。
わたしが捉えていたのは画面や紙のうえに並ぶ言葉の通りいっぺんの意味だけで、その内側を推しはかることなんて到底できやしないのだということを改めて知った。
何気なく読み過ごしてきたひと言に、どれだけの思いがこめられていたのか、たぶん今でも気づけやしない。
人はじぶん自身の息がつづくだけしか海に潜れないのとおなじだ。
でも安田くんは彼自身の経験をさしだして、酸素ボンベとして使ってもっと潜ってみてもいいよって言ってくれる。
手を貸すのではなく、導くのでもなく、こんなふうにも潜れるよって体現して見せてくれる。
彼の海ははてしなく広くて、深い。
そして、ありとあらゆる色彩に溢れている。
そんな安田章大さんが大好きだ。
*1:2020.9.23 anan No.2217 マガジンハウス
『LIFE IS』にまつわるあれこれ②
『LIFE IS』の発売が発表されてから、ずっとそのことばかりを考えていた気がするけど、もちろんそんなことはない。
TLを遡ったらわりとすぐに
あーーーーーマズい、また惚れる、底がない、あーーーーーー…
と通常営業に戻っている。軽い。
翌日には関ジャニ∞のニューシングル『Re:LIVE』発売にあわせた販促キャンペーンがまさかのお寿司壁紙だったことによる熱狂の渦がまきおこり、わたしもそのなかに嬉々としてとびこんでいる。
寿司ネタにしたりされたり、関ジャニ∞さんの情報過多におどり狂いながら、それでも心のどこかに写真集の安田くんの姿が映っていて、そんなときは時間軸が平行移動するみたいだった。
真夏の今と写真集の真冬が交差して、寒暖差が激しかった。あやうく風邪をひきそうだった。
そうこうしているうちにRe:LIVEフラゲ日がやってきて、尋常じゃないボリュームの特典の恩恵を浴び、泣いたり笑ったりほっこりしたり沁みわたったり、情緒は多忙を極めた。
お子らの夏休みも終盤をむかえて日々せわしなく、夏は永遠に終わらないんだと思いながら過ごしていたら、ネット書店での『LIFE IS』の予約受付はいったん終了します、というツイートをタイムライン上にみかけるようになった。
在庫がなくなって、再入荷が決定し次第また受け付けるというお知らせだった。
カレンダーを一枚めくるととつぜん秋がきて、9月2日には写真集の発売前重版決定のニュースが流れた。
でもまだ現実感はなかった。
9月16日は概念上の記念日で、そこは到達しないファンタージェンだと思った。
思ったけど、その日はちゃんと来た。
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『LIFE IS』にまつわるあれこれ①
その知らせは突然だった。
ほんとうは朝が弱いので、休日は遅起きしたい。だから目がさめても起きあがるのがもったいなくてゴロゴロしている。そのうちにお子らは痺れをきらして階下におりていき、つかのま真空みたいな空白の時間がおとずれる。
その日は娘の誕生日で、お子らはことさら張りきっていた。収拾がつかなくなるのは時間の問題だった。その前に階下におりてピーチクパーチクうるさい口に食事をつっこまなくてはいけない。
わたしは枕に顔をうずめたままスマホを探った。無意識に指がTwitterをひらいた。
そこに記事があった。
表紙の写真、岡田敦さんによる撮影であること、北海道根室での撮影だったこと、発売日…。
ドンッと胸を押されたような衝撃があった。力が入らず小刻みに震える指先をみて、わぁこういう時ってほんとうに手が震えるんだ、と他人ごとみたいに思った。
助けを求めてTLにもどると、TLもブルブル震えていた。
ブリザードから生まれたばかりの雛を守るために密集するコウテイペンギンみたいに、安田くんの写真集発売という放たれたばかりのほやほやのニュースを、吹きあれる感情の大波からまもろうと寄りあつまっているみたいだった。
うれしい、だけじゃない。
こわさがあった。
ヒリつくような岡田さんの写真も、はじめて見る安田くんの表情も、かんたんにのみ込めずになんども記事を見返した。
そうしている間に、それまで安田くんから発せられたすんなり落ちていかない表現、ひっかかりのある微かなトゲみたいなものが、すべてここに集約されていくのを感じた。
時が巻きもどされ、どこにおくべきか解らないままだったパズルのピースがひとりでにあるべき場所をうめていった。
それは強力な磁場だった。
抗うすべはなかった。
わたしはそのままネット書店で予約を完了した。
階下からお子らのはしゃぐ声が聞こえていた。底ぬけの夏で、エアコンの設定温度を2度さげた。
それが8月14日の朝だった。