どういえばいいのか、いえないな!

その瞬間に、ここで見たことや体験したことをみんな忘れてしまうのよ

【 塩沼亮潤 大阿闍梨の step by step 】3月14日覚え書き

塩沼さん「塩沼亮潤 大阿闍梨のstep by step、本日もラジオの前のあなたの心のデトックスをお手伝いしていきます。さて今週もこの方とお送りしていきます、関ジャニ∞安田章大さんです」←馴染んでいる感があってすごくいい

 

塩沼さん「毎日のルーティンは?

安田くん「毎朝起きたらうがいしてからベッドサイドに置いてある炭酸水を一気飲みする(前の晩にワインといっしょに持って行って寝るまでワインを飲んでいる)

 一日5~6回は処方されたうがい薬でうがいして喉のケアをしている

 

関ジャニ∞が5人で再出発するときにみんなで作って安田くんが作曲した曲

♬『My Story関ジャニ∞

 

共通の知っているラーメン屋さんに行ったことを写真付きで報告してくれる塩沼さんのことを「かわいいなぁ~いとおしいな~」という安田くん

 

塩沼さん「人間は好きですか?

安田くん「はい、好きですよ

 

塩「どんな人に興味を持つ?

安「目の奥が笑っている人

 シャッターを下ろしている人は分かる

 自分も仲良くなりたくない人にはビシッとシャッターをおろす

 

 影響を受けている人は海人とマタギ

 自然と同化する

 最小限、ミニマムでいい

塩「最終形態でありながら原点

 足ることを知るということが一番大事かも

 

塩「修業がずっと続いている、心をずっとブラッシュしている

 玄米で始まったら2割3分くらいまできてる

 生きるって何?宗教って何?って聞かれたらこれだっていうものをつかんだ

 毎日の普通の生活をちゃんと生きていくだけ

 ちゃんと生きていくかちゃんとしないかの二つにひとつ、ただそれだけ

 

安「僕自身もちゃんと生きればいいっていうところにもう届いて、あ2割3分かもしれませんけど…

塩「2割4分かな!

安「あぁ4分いける…!先に進んでいる…!

 「ちゃんと生きる」とは?

塩「ちゃんと生きる大人はいないからお手本がいない

 偉くなればなるほど下働きとか原点を忘れちゃいけない

安「素敵だ!

 

 

歌詞の深さを感じる曲

♬『デッドライン』阿部真央

 

 

塩「ずっとお話してるとあぁすごいなぁ安田さんの喋り方、こんなお話しの仕方したいなぁとずうっと思って

安「それ恐れ多いです

塩「もうさっきからパクりまくってます

安「それは持って行ってもらったらいいんですけど

塩「zuzuzuzuzuzuzu~(すする音)

安「お蕎麦をすするように

塩「(笑)

 

安「塩沼さんの本に出合えたことは宿命

 人生のターニングポイント

 塩沼さんが僕の喋り方を好きだなとおっしゃってくれるけれど、塩沼さんがまったく同じような温度感で読者に話しかけている

 本から喋り言葉としての音が聞こえてくる人と聞こえてこない人が僕の感覚としてあって、喋りかけてるように書いてある本は心に沁みる

 それが塩沼さん

 難しい言葉を使わずに素直に浸透した言葉たちだけを羅列しているのでは?

 

塩「初めてそういうことを言われた

 自分の言葉で書くとプロの校閲の人が直してくる

 それをまた自分の言葉で書き直してお戻しする

 文法よりもリズムで書いてみなさんの心に心地いいように届けたい

 

安「そのまま感じている。塩沼さんの本が心にすいすい入ってきた

それをそのまま自分の実体験と感覚として喋っているのが今の喋り方

 

塩「私の企業秘密を初めて指摘された

安「すごいうれしい!

 

安「千日回峰行満行後、考え方捉え方は変わった?

塩「あんまり変わらなかった

安「ほぇ~!

塩「自分が求めている最終的な到達点の合格点になったのは去年くらい

 満行した当時のことよりも今をみてほしい

安「塩沼さんと一緒にしては恐れ多いが、僕も手術を経験した過去のはなしはどうでもよくなった

 

塩「今の安田章大さんと来年とか10年後の安田章大さん、自分の中で理想像としてはあ  ると思う

 つねにブラッシュアップする心を忘れないと思う

 その変わった瞬間をファンの人は敏感に察知しますよね?

安「その通りです!

塩「ね、やっぱりいちアーティストとして私も…

安「あ、本当にね、塩沼さん(笑)

塩「みんな怒らないでください(笑)

安「アーティストとして、ではないですよ?

 でもここまでくるとクリエイターなんですよ、

 アイドルとしてのアーティストじゃないとしても、やっぱり僧侶としてのアイドルですよAHAHAHA~

塩「なんてったって

安「なんてったってアイドル

 ジャニーさんよろこんでるやろな~今 AHAHA~!

 メリーさんもよろこんでるやろな~

塩「メリーさ~ん!(笑)

 ファンの方はそうやって安田さんがステップアップしていくのが喜びなんじゃないですかね

安「僕は自分のマイウェイを進んでいるので

 良くも悪くもどう変化していくのか、どう進化していくのか楽しみでもあるだろうしドキドキしている面もあると思う

 あえて読ませない進みかたをわざと選んでいる

塩「私はちょっと前まで肩に力が入ってた。

 なんとかしなければという肩の力が去年抜けた。

 普通でええやんと。

安「解るなぁ…失礼と取られたくないけれど、ボク1年半くらい前にそれになった。

 だから全部のピアスを外した。もともと大きいボディピアスとかあけていたけど全部やめようと。身に纏うものを一回外してみようと

 手術をしてからどんどん生きたいように生きようと思ってやりきった結果、あれ?なんか武装したなとなって、やめようとなった。

 唯一残しているのは臍のピアスで、それは身体のど真ん中の軸だからまぁいっかと。

 そこのパンク精神、ロック精神みたいなものは丹田の近くだからこそ残しておこうって。それ以外は全部はずそうと

 だからネックレスはしているけど、ピアスと指輪は全くしなくなった

 だから肩の荷おろして「好きに生きよう、楽しく生きよう」が「楽に生きよう」に変った。

塩「へぇ~~~いやぁすごいよ

安「だから今のお話聞いても塩沼さんやっぱり尊敬するなぁと思いました

塩「いやぁ有難い

安「尊敬するところしかなくて…だからやっぱりこれは準レギュラーにならなきゃいけないんです

塩「いやぁ~本当ですねぇ!ウェルカム、ウェルカムです

また次回お越しいただくことをお待ちしております!

 

塩「塩沼亮潤 大阿闍梨のstep by step、本日もラジオの前のあなたの心のデトックスのお手伝いはできたでしょうか。実はこの2週、私自身の心のデトックスになったようです。

こんなに深い話というのはお坊さん同士でもなかなかできる人がなくて、

 

 

 

ぼやぼやしてたらここでradikoの時間切れになっちゃった。

たぶん

(安田さんとの会話の中に深い共鳴があって、しあわせのオーラがスタジオに広がっていくのが伝わったのではないでしょうか

おそらくまた準レギュラーとしてスタジオに遊びにきてくださることを楽しみにしております)

こんな感じのお話で締めくくられていたと思う

 

 

 

実を言えばわたしは、安田くんが生きることへの観念的なお話をしているのを聞くのがすこし苦手で。

それは安田くんの言っている内容についてどうこうということではなく、聴き手のかたと安田くんとの温度差みたいなものにハラハラしてしまうというか

 

安田くんはそんなこと百も承知で自分の思いを公言しているんだろうけれど、

観念的な話は人によってはアレルギー反応をおこしたりするから、いつも「そこまで語って大丈夫かな」と余計な心配をしてしまうがゆえに苦手だったんです。

 

でも今回の塩沼さんとのラジオはつねに二人の温度感がいっしょで、すごく心地よかった。

ずっと安心して聞いていられたのが本当にうれしかった。

 

わたしが安田くんを追いはじめたときはちょうど「好きに生きよう」の模索期間だったと思うのだけれど、こんなふうに安田くんがリラックスして自分自身であることを楽しめるようになった今までの時の流れが、なんだかとってもありがたいなぁと思ったりするわけです

 

そして安田くんの熱いまっすぐなお慕いの気持ちを受けとめてビクともしない塩沼さんが、さすがの大阿闍梨さまでいらっしゃることよなぁと感嘆したのでありました。

 

安田くんの願いが叶ってどうか準レギュラーとしてまた塩沼さんのラジオにお招きされますように!

 

【 塩沼亮潤 大阿闍梨の step by step 】3月7日覚え書き

塩「塩沼亮潤 大阿闍梨のstep by step、本日もラジオの前のあなたの心のデトックスをお手伝いしていきます。」←オープニングめっちゃいい。すでに癒される

 

塩沼さんがラジオで映画の宣伝をしたことを安田くんにLINEで連絡

ラジオやってるの?僕も出たい!と返信

恐れ多くて言えなかったという塩村さん

すぐにマネージャーに言って連絡をとってくれと伝えた

一年半ぶりくらいの再会

 

 

塩沼さんにたいしてすごく大切に思っていることが伝わるんじゃないかと安田くんが選曲した

『友よ』 関ジャニ∞

 

作家のひろこさんが塩沼さんのことを「とぅるん」としてると言う

安田くんも偶然裏で塩沼さんのことを「小学生みたい」「とぅるん」と喋っていた

塩沼さん(大阿闍梨)は「とぅるん」

 

嘘八百』の手で描いているシーンは思いつくままに

ぐるぐる手をまわして描いたのは脳みそをイメージして描いた(初めて言う情報)

人の脳みその中は常にまとまってなかったり、ずっと同じことがループして悩んだり考えたり、

それを繰り返して洗練されていくんじゃないのかという思いをこめた

 

今回の7年ぶりの映画出演は警戒心、恐怖心をぬぐってくれた

舞台はサングラスを外すために薬を倍量にしている

芸能界に残った答えはひとつ。誰かのために仕事をする。自分の経験を誰かに渡して力になるように

 

試練の支えになったのは99歳で亡くなったおばあちゃん

紅白に出た時にすごく喜んでくれた

手術をした後、父母はもう無理しなくていいんじゃないかと

その中でおばあちゃんのことが思い浮かんで喜んでくれるやろからまだやろうかな、と思った

 

塩沼さんは左側頭葉の三分の二が壊死して無い(「えー!初めてボク知った」と安田くん驚きの声)

医師に余命一週間の血液の数値で生きているといわれたことがある

 

境遇がいっしょとは言わないけれど似ている

 

塩「なんか似てますよね

男前なところとか

性格が良いとか

謙虚で素直なところとか…

誰か止めてください!」

 

安「止めてやらない!

止めてやらない生き地獄を与えてみようと思いました

アハハハハ!」

 

雑誌で会ってみたい偉人に塩沼さんの名前をあげたから僕のファンは塩沼さんのことを知っている

その二年後たまたま会える機会を設けてもらった。この出会いは僕にとっては偶然じゃなくて必然。

その前にもっと偶然がある。塩沼さんが阿川佐和子さんにたまたま連絡したときに安田くんが横にいた。

 

安「おれこの後佐和子さんに電話しよう!

そうや、終わった後でんわしよう、すげぇ!」

 

人生最高だねって思わせてくれる曲

『LIFE IS WONDERFUL』 RICKIE-G

 

人生において仕事において、楽しいほう、心が躍るほう、人との出会い、ご縁で進んでいくものだと思っている

仕事って人生の延長線上のただの遊び

どれだけ楽しんでやれるかがすごく大切

このラジオはご褒美

だからお邪魔させていただいてます

 

自分は人生で2回死にかけたことでなにをしてても楽しい、疲れない、になっちゃった

 

 

自分自身と他者の思う自分像の違いにどうやってピントをあわせるか

ズレがあっても気にしない?

誰かがこうであってほしいと求めてくる場合、塩沼さんはスイッチをいれて素の自分と使い分けてもいいと思う

 

安「基本的に自分からスイッチを入れることはなくしている、わざと。

パフォーマンスをすることで本能的にスイッチが入るというか。

それも安田章大のまま。

「アイドルをしている安田章大」ではなく、「安田章大が勝手にアイドル化」している。

いま(ラジオ)はめっちゃ安田章大、ふつうの。

これがナチュラルな安田章大であり、たぶんみなさんに求められはじめている安田章大になってきた。

病気をしてから飾らなくなったから。」

 

安「このご縁はボクめちゃくちゃありがたい。

本当に、ほんっとうにレギュラーにしてください!」

塩「いいんですか?もっともっと深い話がしたい、深堀りしたい」

 

 

塩「塩沼亮潤 大阿闍梨のstep by step、本日もラジオの前のあなたの心のデトックスをお手伝いできたでしょうか。」←めちゃめちゃ浄化されました。

 

塩「安田さんは本っ当に心の友として、一生涯おつきあいしたい方だなと改めて思いました」

 

 

大人になってなんの衒いもなくこんなことを言い合える塩沼さんと安田くん素敵すぎた。

安田くんの声がとてもリラックスしていて、「ここまでは言っても大丈夫かな」みたいなリミッターが全然かかっていなくて、思ったままを言葉にしている感じがなんだかすごくうれしかった。

閃光ばなし2

まとまったらまた続けますと書いたわりに一向に続きを更新していなかった。

 

11月4日にボク。に載ったやすだくんの、切なくもぽっかりと穴が開いたみたいな虚ろな表情を見たら、波紋のとどかない凪に浮いている自分のまとめが楽観的すぎる気がしたせいもある。

あとは単純にやすだくんの良さを書こうと思えば思うほどまとまらなかったって言うのが大きい。

 

やすだくんが、是政が、そのまなざしが、その熱狂が、その声が、なんて美しかったことだろう。

しみったれたどん詰まりに生きながら希望という炎を燃やして、博愛でありながら独善という薄氷のうえをただひたすら駆け抜ける魂を全身で体現していた。

 

やすだくん毎秒素晴らしかったよね。

どのシーンもやすだくんからキラキラした光の粒が湧き出ていて、この輝きを見つめる目、物語の全体を見る目、各キャストを見つめる目が少なくとも必要だ、圧倒的に目の数が足りない!って何度もなった。

 

好きだからこそこじらせて大っぴらに褒められないみたいなところもある。

 

感情のダダ洩れなTwitterなら言えることも、こうやって文章にまとめようとすると書けなくなる。

やすだくんのことが好きだから誉めているんじゃない、純粋に良かったから褒めたい。

演者さんみなさんリスペクトだから讃えたい。みたいな気持ちもでてくる。

それでどこから手をつけたらいいか見失うっていうあるあるです。

 

 

 

書いておきたいのは桑原さん演じる底根のこと。

彼女の放つエネルギーと期待感が大好きで。

舞台上に登場するたびワクワクした。

 

 

あっちの世界とこっちの世界を股にかけて繋いで見極めてなだめすかす知性とパワーを炸裂させて、

いろんな界隈にコミットしているはずなのに、どこにも安らげる場所を見いだせない無力感もただよわせ、

 

底根も好きだけど、その向こうに在る俳優としての桑原さんかっこいい!って単純に惚れました。

 

 

 

あと書きたいのは政子なんだけど、

政子って不思議とふわふわしてて。

捉えどころがないというか。

 

エキセントリックでたまにギャルだけど自己肯定感が泥沼でときどき捨てばちで、

まわりを焚きつけるのが異様にうまくてどん詰まりのアイドルだけどたまに巫女みたいになって。

 

急に

「ぜんぶ私のせいです、ごめんなさい」

「私は自分がキライだから一瞬でも今のままでいたくない」

「幸せになってはいけないんだ」

とか言い出すから目が離せなくて。(どうかこのセリフの記憶がわたしの妄想ではありませんように!記憶力!)

 

 

そりゃ是政じゃなくても俺(私)が面倒みなきゃ!ってなる。

 

 

設定としてあんなに是政が政子を想っているのはなぜなのかはとくに決まっていないと雑誌のインタビューでやすだくんが答えていて。

もしかしたら異母兄妹ということもありえるのかなという含みは観客にゆだねるとなっていたけど。

 

どうなんだろうな。

是政の政子への思いって兄妹の枠を超えるものなんだろうか。

 

 

そんなことある?ってシチュエーションで両親をたてつづけに亡くして、大人になるのを早められた兄妹が身をよせあって生きていこうとした矢先に是政のもとに届く赤紙

 

戦争からぶじに帰っては来たものの、そのあいだに失ったものが兄妹それぞれにきっと大きいんだろうな。

 

政子は是政がいないあいだに結婚しているし、その結婚自体もどんななりそめでとか説明はまったくない。

急に現れる焼き肉屋の柳さん。

頼りなくて流されがちで、でも優しくてエキセントリックな政子のことをとても大事にしている人。

政子はちゃっかり愛されて仲良し夫婦ではあるけれど、いざというときには柳ではなくほかのものを見つめている…

政子、柳さんのことが好きで好きで結婚したんではなさそうだし、柳さんもそれは納得ずくって感じだった。

 

街のみんなが夜逃げをするときに柳さんが差し伸べた手を政子が握り返さなかったのが切なくてさ、

柳さんは新しい街で幸せになっていてほしいなと思うとともに、

自分が夫と同じ道を歩まないことを選択したときに政子は一体どんな気持ちだったのだろうと思いを馳せるわけです。

 

 

 

華ちゃんの演じる政子かわいかったな。

いかにもいたずらっ子ってかんじの茶目っ気たっぷりな表情、しなやかな身のこなし。

みんなが有難がるっていう踊りのときは神秘的で。

けっこう客席に背中をむけてのシーンが多かったのだけど、後ろむきの足の所作というか動きすらもキュートで。

目を奪われてしまった。

 

 

 

最初に書いたように『閃光ばなし』には終わりがない。

いや、あるんだけれども明確な結末ではなくて、観客それぞれの解釈にゆだねられている。

 

最後に政子が舞った踊りはどういう意味だったのか。

是政はどうなったのか。

 

 

いちばん救われたのはパンフレットの対談で、福原さんが

「みんなに届く作品ほどこちらの意図が誤解されている作品」

「作品がおこす感動って舞台上でおきているんじゃなくて、お客さんの心の中でおきていること」

と言ってくれているところ。

 

それに対してやすだくんが

「勘違いして受け取ってくれた何かが、その人の生きる糧に変わっていくことが僕にとっても舞台をやらせていただく面白さ」

と答えてくれているのが最高で、

 

あの疾風迅雷の舞台が吹き抜けたあとにひろがるどんな思いもマルっとオールオッケーにしてくれる言葉でした。

 

 

 

 

 

あらためてパンフレットを読み返して、対談のやすだくんと福原さんのお写真がとても好きでした。

なにも纏っていないようで、リラックスして、ちょっと内側をみつめているみたいな作り手としての表情。

 

2023年も表現者としてのやすだくんにも会えるといいな。

 

追記:福原さんが『9』のことを「ダブルミーニングのエロい曲」って言ってて笑った。

閃光ばなしを観た

舞台『閃光ばなし』を観た。

 

東京公演も残すところが少なくなるとTwitter上のネタバレ配慮もゆるやかになり、

個人的最終観劇を終えたことで放出される熱、

カウントダウンで残りの公演に馳せる熱、

観る側からも演る側からも熱、熱、熱がTLに押しよせて、否が応にも大千秋楽への期待が高まっていたその最高潮の朝、

 

お知らせは突然公式から流れてきた。

 

 

"「…公演関係者に新型コロナウィルスの陽性反応」がでた。

「最後まで実施の可能性を検討」したが「止むを得ず公演を中止」する…”

 

 

 

思いもかけないこの舞台の結びは、わたしにとって強烈なスパークだった。

ふわふわと漂っていた夢の中から急に現実に引き戻されたようでいて、新しく目覚めたその現実もまた夢の中のような奇妙な感覚だった。

 

もちろんすでに観劇にむかっていた方や演者の方、関係者の方々、なによりやすだくんのことを心配したけれど、舞台『閃光ばなし』を思うとそれでいいのかもしれないという考えが突如まいおりてきてわたしの横っ面をはたいた。

 

 

 

 

だってこの物語には終わりがないから。

 

 

 

大千秋楽をみんなで迎えて、全力でやりきって、満場の拍手につつまれて、感動を分け合って、ねぎらって讃えて大団円のフィナーレで、はいこれでお終いだよ昭和三部作の完結だよって幕をとじられることをずっとずっと祈っていたし、そうであってほしかった思いは今も根強くあるけれど、

尻切れトンボみたいに突然スッパリと立ち消えて、行き場のない思いや感情だけがゆらめいて、放りだされて、ただこの「もう終わっている」という「今」だけがある。

連続する「今」があることによってそれは決して完結しない。

時を替え場所を変え今を生き続ける、

『閃光ばなし』ってまさしくそんな舞台だったような気がしてきて。

 

 

是政も政子も、どんづまりで生きていたみんなが

そこかもしれないし、そこではないかもしれないどこかで

この先もああだこうだ言いながら生きたり死んだりして世界は続いていく。

 

 

その切れ目ない「今」の連続のなかで是政と政子がゼロから離れようとして巻き起こしたエネルギーの放電、その瞬間にだけ見えた物語。

 

閃光の名のとおり、瞬間的に明るくきらめいた、刹那のお話し。

とはいえその刹那の中には「生きるということのあらゆるもどかしさ」がギュギュギュッとつまっていて、ただただ美しいだけの閃光じゃない。

 

ピカッと光ったそのひかりのなかに見えるものこそ、あなたの心の奥底に潜んでいるものですよ的な…

 

…ホラーか。

 

…ぜんぜんホラーではないです。

 

 

 

ニコッ。

 

 

 

「そりゃないことだらけの毎日」が現実にはみだしてきて、

舞台が実は私たちと地続きで、

私たちが生きていることであのどん詰まりの住人達も生きる。

終わりじゃない。

 

 

今回の最終公演の中止はそういう果てしない余韻を残した気がしているんです。

 

 

 

 

閃光、瞬間、刹那とさっきから並びたてているけれども、上演時間3時間はなんともまぁ濃密なたっぷりとした時間でして。

なんと言っても生気の吹き溜まりみたいなあのどん詰まりの町。

生気が吹き溜まるとはなんとも奇妙だけれど、

未来への展望がないままの生活を煮しめた塩っ辛いやるせなさが染み付きながらも

たくましくしぶとく日々を生き抜いている人々がやっぱりこの物語の屋台骨だと思うんです。

 

自分の生活が立ち行けばそれで満足で、理不尽なことを抜本的に変革しようとは思っていない。(巨悪を暴きたいわけじゃない!ってセリフが実に象徴的でした。)

目に見える範囲に敵をつくったり味方にしたり、手の届く範囲で甘噛みしあいながら憂さを晴らすことになんの疑問もない。

 

そんな人々の中にあって、自分の手の届く範囲から逸脱するビジョンを持っているのが是政で、その是政にパワーを与えるのが政子でした。

ふたりは兄妹、兄と妹。

 

最愛の政子のために持ち前の行動力で、すこしでも生活を良くしようとどんづまりの住人を巻き込みながら奮闘する是政。

 

舞台後半で「俺が[みんな]っていうときは[政子と俺]のことだ」って是政の口から語らされてますけど、人格者と持ち上げられてくすぐったそうに照れているわりには政子を守るためにペンキ屋を警察につきだしたり、出来上がった橋をバイクで引っ張って壊そうとしたり、是政はどん詰まりの住人たちに寄り添ったりはまったくしないんですよ。

 

川に橋をかけようとするのも、足漕ぎボートで川を渡ろうとするのも、自分の結婚式をすっぽかして電柱を立てたのも、バイクタクシーを始めるのもすべて「政子と俺」のため…

 

自分を中心にまきおこるエネルギーの渦のなかに、住人が引き込まれたりはじき飛ばされたりすることはなんとも思っていない。

そんな意味でいえば一番強烈にはじき飛ばされた由乃さんですら、新しい目的のためには渦の中にグイグイと引き込もうとするのけっこうえげつなかったな。

 

「ズルいところも含めて正直なあなたが好きだった」って由乃さんは言ってるから、そういう是政が自分のことを本当に大切に思ってくれるならそのまま好きだったってことなんだろうけど。

 

「人の思いってはかりしれないでしょう?」でしたっけ。

「人の気持ちって想像しきれないでしょう?」でしたっけ。

たしか由乃さんがボクシングに挑むときにそんなことを言うんですよ。(わたしに記憶力をください)

だからボクシングで打ち合うという方法で心を具現化するって。

具現化するために数珠より重いものをもったことがない由乃さんが並大抵ではないトレーニングを積んだって。

 

ここがめちゃくちゃ好きでした。

 

是政の視界に入っていない自分の心を具現化してみずから視界に入れに行く。

是政の気づきを待つんじゃなく、自分が動いて可視化する。

顔面パンチと金的という痛みとともに。(個人的にはそれでもまだ痛みが足りないと思いました。)

 

 

「わかりあえたらさよならできる」

って、あまりに真実で。

 

わたしは寺山修司が引用していた井伏鱒二訳の「サヨナラだけが人生だ」を背中に彫って生きているつもりの人間なので、このひとことを書いた福原さんに痺れました。

 

さよならって一方通行じゃないコミュニケーションで、さよならできるためには人は誰かと出会って世界を共有する必要がある。

ひとりぼっちでは、さよならすることさえ出来ないですから。

 

でも

「是政さんの[みんな]の中に私は入っていますか?」

と尋ねて返答につまった是政に

「沈黙が一番残酷なときもある」

由乃さんが突きつけた時、やすだくんの、というか是政の指は、関節に思いっきり力が入ってピッキピキに突っ張ってたんですよ。

 

最初は由乃への申し訳なさに気づいた感情表現なのかなと思ってたんですが、そうじゃないかもしれないですね。

あれは「みんなのため」という耳当たりの良い言葉が剝ぎとられて、自分の中に在る[政子と俺]に覚醒する瞬間なのかもしれないなと今なら思うのです。

 

由乃さんのさよならはやっぱり一方通行ではなくて、そうやって是政を変えていくんです。

 

 

 

そういう意味では権力者の業を一身に背負い

「ひとりでは到底ひきうけられない責任をひとりで引き受けるのが権力者」(みたいなセリフありましたよね?記憶力切望)と哀切を絞り出すように訴えかけた野田中ですら、助さん格さんに支えられてひとりじゃなかったのはなぐさめられるところでした。

 

ところで野田中演じる佐藤B作さん、ほんとうに素晴らしかったですよね?!!ねっ?!!ねっっ?!!!(強い同意をもとめるまなざし)

わたしは野田中がでてくるシーンが楽しくて仕方がなかった。

歌舞伎でいうところの見栄を切り、本物の蕎麦を舞台上ですする野田中。

 

冒頭、是政と政子といっしょに川で溺れたシーンで

「素質がある」「見守ろう」と助さん格さんと立ち去ったときに漂わせていた完全に善の大物が出す圧倒的な威光。

その実「勧善懲悪」どころか芯の通った「勧悪懲善」に誇りすら滲ませる。

底根に「(どん詰まりの住人は)生きる力で負けている」と云わしめる生命力。

 

B作さんの、時にコミカルで時に痛快な節まわしが楽しくて楽しくて、野田中を憎めなかった。むしろ引きこまれた。

役としてもご本人も大物だったなぁと思いかえすわけです。

 

 

 

 

…と、ここまでは書けているんだけどまだ続きがあって。

でも今日福原さんのこの

 

 

 

 

ツイートを見て、とにかく書けているところまでは公開しようという気になりました。

だいぶ、経ったんだな。

まとまったらまた続けます。

 

んじゃまたね

『9』について書いてみた。

やすだくんのソロ曲『9』。*1

 

 

呼吸音からはじまるその曲に初めて触れた時、あまりのパンチライン安田章大はここまでやるのか、これがわたしの推しかと天を仰いでそのまま比喩じゃなく床に倒れ込んだ。

 

なにしろファンになってから初めてのリアルタイムでのソロ曲リリースで、ドキドキもワクワクも最高潮に達していたところに浴びた『9』は曲もMVもあまりに良くて、ただただ好き~~~~~~~~!!の感情がとめどなく溢れるばかりで、最初は歌詞の中身を深く考えることなんてできなかった。

 

でもある時を境にこれにはやすだくん自身のストーリーが潜んでいるんじゃないかと思い始めて、いったんそう思いだしたらもうそうにしか読めなくなって、なんだかとんでもないものを引き当てちゃったような気持になったんですよね。

 

それでブログを書こうとしてたんだけど、4月9日にボク。がアップされてそれを読んだら落ち込んだというか、久しぶりに自己嫌悪に陥った。

興奮して舞い上がってその勢いのままブログを書こうとしている自分があまりに短絡的で、思いやりや心くばりに欠けているじゃないかととても残念な気持ちになったんです。

 

以前は「やすだくんの経験をエンタメとして消費してしまうんじゃないか」と切実に思いを巡らせていたのに、

その気持ちを失くしたわけではないと思いたいけれど、彼のパフォーマンスや作品にふれるたびその完成度の高さと熱量に押されて「大丈夫かな」という心配の霧はかき消えて、いつのまにか「きっと大丈夫」にすり替わっていたんだとハッとした。

 

表舞台で「きっと大丈夫」と思わせられるのは、その裏側にやすだくんの人知れぬ努力や葛藤があってのことで。

いつも前向きな言葉でまわりにいる人を太陽みたいに暖めることのできるやすだくんだけど、その足もとには当たり前に地面があって重力があって影が落ちていて、その影をじっとみつめる瞬間もあるんだと感じた。

そして「Happy Birthday 0歳」が語っている4月9日という日の重み。

0歳ってどういう意味なんかな。

この日からまた生まれ変わった新しい人生ということなんかな。

あれから4年経つから4才になるというわけではなく、毎年この日にリセットされるんだろうか。

 

 

やすだくんのソロ曲『9』。

9。

その「9」って2月9日と4月9日の『9』ですか。

 

 

*1:関ジャニ∞が2021.11.17リリースしたアルバム『8BEAT』完全生産限定盤に収録されている

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安田くんの舞台のこと

リボルバー ~誰が【ゴッホ】を撃ち抜いたんだ?~』

 

舞台の幕が降りてから三か月ちかくになる。

だれもが知る実在の天才画家フィンセント・ファン・ゴッホを安田くんが演じた舞台。

 

リボルバーがもち込まれたことをきっかけにゴッホの死をめぐる謎に迫ろうとする現代のオークショニア達と最期のときにむかって加速していくゴッホの世界が交差する不思議な世界はゴッホの享年37歳に呼応するように、8月15日、37回の上演ののちその幕をおろした。

 

 

観劇直後は頭も感情もぐちゃぐちゃになって、これはひとまず自分の中身を整理して落ち着いたらブログにまとめようと思ったけれど、時間がたてば経つほどわたしが観たものは何だったのか混沌としてきて、まとめるどころか手がつけられなくなった。

 

舞台の細かい印象なら無数に残っている。

 

さびしげでグロテスクなひまわりの舞台セット

安田くんの演じるゴッホの発光しているみたいな笑顔

献身的なテオと、土と生命の匂いのするゴーギャン

立ち姿の凛としたオークショニア達が流れるように作品を描写する声

 

かましくて無邪気で腹立たしいほどに繊細で、タブローしか見えていないゴッホ

 

耳切り事件のあとにかすかな風のひとふきですら折れてしまいそうなほどやつれたゴッホを体現していた、安田くんの鋭利な鎖骨

 

客席にむけて切々と訴えかける冴の情熱に痺れ、時間も空間も超越した一瞬…

 

どれもが鮮やかに脳裏によみがえる。

けれどもそこで終わらない。終われない。

 

なにが終われないのか分からなくて、おそらくこれは自分の知識不足による消化不良だろうと思った。

 

 

 

率直に言ったら

 

「思てたんと違った」

 

から。

 

 

良いとか悪いとかそういう話しではなくて、単純にわたしの中のゴッホ像と重ならなかった。

まず第一印象で『リボルバー』のゴッホは俊敏で反応が早い。

わたしはもっと、鈍いというのではないけれど大股で歩くテンポみたいなものを想像していたんだと思う

ところが安田くんのゴッホは跳ぶしはねるし飛びつくしまくしたてるし、とにかく感情の激烈なうつりかわりがそのまま表面に溢れてくる。

 

感情表現がストレートだから甘えるのもうまい。

おもえばゴッホが甘えるところなんて想像したこともなかった。

信念や頑固さや率直な情熱や卑屈になったところを思い描いたことはあってもどんなふうに甘えるのかなんて考えたこともなかった。

 

 

それで今度は安田くんのゴッホを念頭に、あらためて『ゴッホの手紙』と『ファン・ゴッホの人生』を読みはじめた。

 

それがまぁ全然読み進まない。

びっくりするほど読みすすまない。

 

自分史上もっともページを繰るのが遅いかもしれない。

 

 

これを読んだらなにがつっかえているのか解るかもしれんのよ、読めわたし、とハッパをかけてもとにかくしんどい。

 

なにがしんどいってゴッホの人生の一コマ一コマが目も当てられんほどしんどい。

 

父親へのコンプレックス、母親との関係性が母親側からわりと早めにぶった切られているらしいところ、家族の厄介者、お荷物的な描写、裕福な伯父に期待されて入った画商ではあっという間に落ちこぼれて見放されるどころかほとんど存在そのものを嫌悪されているし、信仰にすべてをかけているかと思えば神職の勉強では箸にもかからず、それなのに常に最高の精神存在であろうとして弱っている人を見つけては嬉々として近寄っていき、かと思えばテオやベルナールに宛てた手紙ではマウントがすげぇし、マジでなんなんだよこいつ…自意識が肥大で目もあてられねぇ…しんどいよ…

 

って感じで三ヵ月かかってまだ上巻も読み切れていないし、なんなら今読んでいる頁でまだゴッホは絵を描き始めてもいないんです。

 

 

安田くんこんな人を取りこんでたん…?

 

そりゃ痩せるわ…

 

どうやってゴッホと共存しとったん?

しんどくなかったん?

 

 

 

でも安田くんのゴッホはときにあっけらかんと笑い、新妻みたいな初々しさでゴーギャンを迎え、アルルの風景のなかで幸せそうに唄っていた。

 

 

 

やっぱり解らない。

 

 

 

 

わっかんないなぁ

 

 

 

 

というかそもそも文章からゴッホを解ろうとするのが間違いじゃないのか。

わたしが触れることのできる文章はよくて三次資料。ゴッホが書いた、あるいはゴッホを知る誰かが残したものが研究者のフィルターを通りさらに翻訳されたもの。

下手したらそのまとめや要約だけ引用されてもはや原型をとどめないゴッホ像をなぞっていることもある。キャッチーな言葉や見出しがこれだけついて回る画家もそんなにはいない。

 

 

そんなものよりも直接ゴッホに触れられるものがあるじゃないか。

タブローがあるじゃないか。

 

 

 

…とは言えね、作品から感じられるもののみで完結できるほど感度がよくないので。

やっぱり情報がほしくなっちゃうってんで堂々巡りに陥るんです。

 

 

 

とそんなこんなで気がついたら三ヵ月経っていたんですよ怖い。

光陰矢の如し。少年老い易く学成り難し。

 

 

 

 

 

もうすぐ関ジャニ∞さんのアルバムが発売になるし、怒涛の雑誌祭りとテレビ出演祭りはすぐそこに迫っているし、ツアーも始まるとなれば今このタイミングで舞台について書いておかなければきっとそのままになってしまうから、本を読み終えたらというのは棚上げしてとにかく今感じていることを書いておこうと書き始めて、ここまで書いて、

どうやってもまとまりそうにないなと舞台のパンフレットを読み返してみたんですけど、あらやだ。

 

 

 

 

 

ここに書いてある違和感のこと、安田くんが説明してくれてた。

 

 

 

 

 

 

あらやだ。

 

 

 

 

 

 

 

こんな結末ってある??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにこれわたしパンフレットの追体験したじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

本を読み進めることに必死になりすぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安田くんこそがわたしの一次資料なんだよ馬鹿馬鹿わたしの馬鹿!!!

 

 

 

ああああぁぁ

脱力した。

 

新幹線に乗った

やすだくんの舞台を見るために新幹線に乗った。

 

 

お子らの登校を見送ってから出発してマチネ観てその日のうちに家に戻れるって新幹線すごない?

凄すぎて泊まりの可能性減ったよ。むしろもうちょっと鈍くていいんだよ頼むよ‥というわたしの思いとは裏腹に東京駅にむかって爆速で走り続ける新幹線に乗っている。

快適である。

ついついスマホをさわりたくなる環境というのはこういう時間である。充電器も持ってきた。

 

ジャパニーズSHINKANSENスゴイね。

 

 

 

ついに世界は7月10日を迎えてやすだくんの舞台が始まった。

TLに流れてくるレポをチラリと眺めたら激賞ばかりの様子でお尻がムズムズする。

 

このままだとちょっと味見のつもりが本日のミックスグリル定食ご飯大盛りお味噌汁おかわり自由くらいの勢いでかっこんでしまいそうだ。

 

いかんいかん。

 

横山くんばりにおやつ代わりにナッツを体内に放りこんでいたら突如としてものすごい腹痛に襲われてこれはきっと良くない病気に違いない入院とかだったらどうしようと半べそで総合病院行って胃カメラまで飲んだのになんのことはないただの胃荒れでナッツノタベスギヨクナイ‥ヨコヤマアーモンドオウジオハダダケジャナクイモキレイネ‥とお薬出してもらった経緯を忘れてはいけない。

 

胃もたれ大敵。

 

 

なのでしばらくTwitterからは距離をおくことにした。

 目からの誘惑を遮断である。

 

 

 

 

やすだくんの舞台が始まるのと前後して大倉くんの舞台『夜への長い旅路』は京都公演へ移った。

わたしの観劇は6月のおわり、シアターコクーンだった。

ストーリーは決して明るく楽しいとは言えない内容ながら見終わったあとの第一声が「楽しかった!」だった。(わたしのTwitter調べ)

 

 

 

心の澱を吐き出すような台詞、

 

乱暴に投げつけるような言葉の応酬。

 

破綻した関係を取り繕うさまが哀しくもコミカルで、それでも切実に愛を願う姿がもどかしく、美しかった。

 

上から吊るした巨大なレースの舞台セットが時には波になり霧になり、天使のようでもあり、亡霊のようにうごめいてもいて、とても印象的だった。

最後のしのぶさんの虚ろな表情と合わさって有機体として生きている舞台そのものに飲みこまれるような感覚だった。

 

 

大倉くんが「ママーーーー!!」って叫んだ時泣いちゃったよ。

わたしの中の全ママが烈しく揺さぶられた。

すべてを投げうってでも救いたい子供がそこにいた。

 

でもジェイミーを救えるのはメアリーだけで、彼女の心はそこにはない。

その先に待ち受ける未来をわたしたちは知っていて、なす術もない‥

 

 

 

 

 

 

 

 

やすだくんの沼に落ちて2年。

 

初めて生でメンバーを見られるはずだったコンサートはcovid-19で中止になった。

こびっどとかいうやつまじ許さん。もし顔を合わせることがあったらギッタギタのメッタメタのズッタズタにしてあげるんだから覚悟しとけ。

なのでこれがわたしの初生大倉くんだったわけで。

 

‥‥ぬはぁあああぁぁぁぁぁぁ‥・

 

 

ずっと大倉くんの声は青春の香りがするって言ってるんだけど、

 

傷つきやすさや繊細さを隠した

 

夢見がちな理想主義と

 

残酷にもなれる知性

 

それらを全て包みこむ聴く人の耳をとろけさせるとっておきの甘さ。

 

え、人生ヤバない??

 

 

 

こんな人を人生の初期に知ってしまっていたら堅実におのれの人生歩んでいける自信ないわ。

 

どうしてこれまで関ジャニ∞さんを好きにならずに生きてこられたんだろうと不思議に思うことは多々あるけれど、沼ったのが今でむしろよかったのかもしれない。

 

そして年長さんから大倉くんを愛しつづけ、今年の七夕の短冊にも「大くらくんとけっこんできますように」と惜しげもなく壮大な夢を書きつらねているむすめの将来をものすごく心配している。

 

‥むすめ、しっかり生きて‥‥‥

 

 

 

 

怠惰な空気すら漂わせるジェイミーとしての立ち姿も完璧な頭身で、コクーンほぼ最後列からの肉眼でも捉えられるほど耽美なキラキラを全身にまとっていた大倉くん。

 

アイドルとしてステージに立たれた時はそりゃあもうとんでもないことになるんだろうなと幕間に思い至って思わず腕組みしました。

舞台中はそういうことを考えさせられなかったから。

純度100%の役者としてそこに存在していたということなんだろう。

 

 

 

寡聞にしてユージン・オニールの作品を手にしたことがなかったので、これを機に手元に置いてみようかなとネットで探してみたけれど新刊本はないんですね。ある?

 

ネットの古本は状態がわからないし二の足を踏んでいるうちに観劇当日になってしまったので、あらすじから想像していたよりも明るい雰囲気!みんなまともそう!あれ?そうでもないかも!あ、やっぱりそっち?いやいや台詞の量やべぇな!!ってやってるうちにあっという間に引きこまれていた。

 

それでもみなさん何回か台詞の言い直しがあって。言い直すということはそれだけ台本に忠実ということで、あのものすごい台詞の量をどうやって覚えるのか皆目見当がつかない。

頭の中どうなってんだろ。

 

 

顔よしスタイルよし記憶力よし忠義。

 

‥言いたかっただけですすみません。

 

 

 

共演者の方々の個性も際立っていて、とりわけしのぶさんの素晴らしさには満天の星空を仰ぎ見たときのように圧倒される。

尊い

 

しのぶさんの演技を見るたびに毎回北島マヤだわ‥ってなる。

ついついガラスの仮面をひきあいに出したがるオタクにとって天才、生まれついての女優、伝説、の意です。

 

 

タイロン家の面々は憎みあい罵り合いながらその基盤にしっかりと愛情があったわけだけれど、はたして自分の家族はどうだったんだろうと考えはじめたらなんだかドロッとした感情に手を突っ込んでしまいそうでずっと躊躇ってた。

 

今日やすだくんの舞台を見るために新幹線に乗ったらわたしにとっての最新舞台が『夜への長い旅路』じゃなくなってしまうことが急に切なくなってきて、当日のメモをもとに感想をジップロックしました。

これでいつまでも新鮮。

 

 

あとは舞台がはねたら大倉くんが文章にしたいと書いてくれていたので、それをひたすら楽しみに待っている。

 

 

 

京都も残りあと3公演。

最後までぶじにタイロン家がタイロン家であり続けますように‥!!

 

 

 

 

 

 

というようなことを車窓を眺めたりうたたねしたりしながら、とはいえ頭の中は必死で書いてみた。

 

 

空は青い。東京はきっと暑いだろう。

 

電車を降りたら『リボルバー~誰が【ゴッホ】を撃ち抜いたんだ?~』が待っている。